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森繁久彌:巨星墜つ・・・ ↑

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2009/11/11(水)
森繁久彌(もりしげ ひさや):俳優(コメディアン)
森繁久彌0

父・馬詰達吉:実業家。徳川家大目付・森泰次郎の次男
母・馬詰愛江:大きな海産物問屋の娘
父他界の際、
  長男:馬詰姓
  次男:菅沼姓
  三男:森繁姓(母方の祖父の姓)→森繁久彌
戸籍上の養父は南海電鉄の鉄道技師であった森繁平三郎。
#昔は、家を継ぐということが大事だったので、戸籍も色々いじってた。

1934年に早稲田大学商学部へ進学。在学中は演劇部にて先輩部員の谷口千吉や山本薩夫と共に活動。この頃に萬壽子夫人(当時、東京女子大学の学生)と知り合う。
その後、山本らが左翼活動で大学を追われてからは部の中心的存在となりアマチュア劇団に加わり築地小劇場で『アンナ・クリスティ』を上演した。

1936年、必修とされていた軍事教練を拒否して大学を中退。
#時代が時代ですので。
長兄の紹介で東京宝塚劇場(現・東宝)の東京宝塚新劇団へ入団。
その後は日本劇場の舞台進行係を振出しに東宝新劇団、東宝劇団、緑波一座と劇団を渡り歩く。
下積み時代は馬の足などしか役が付かなかった。
日劇で藤山一郎ショーの舞台進行を務めた時、藤山に頼み込み通行人の警官役で舞台に立つも全くウケなかったなどの辛酸を嘗めた
。座長の古川ロッパに認められた緑波一座では、盟友となる山茶花究と出会う。1937年、退座。

1939年、NHKアナウンサー試験に合格し満洲に渡る。
満州電信電話の放送局に勤務。
満洲映画協会の映画のナレーション等を手掛ける。
#時代が時代ですので。
甘粕正彦とも交流があった。(何中大物と。満州映画協会理事長だからか。)
蘭花特別攻撃隊(B29に対する特攻航空隊)の為の歌『空に咲く』の作詞も行っている。
1945年、敗戦を新京で迎えソ連軍に連行される。
1946年11月に帰国。

1947年、東宝で、衣笠貞之助監督の『女優』に端役で映画初出演。
1949年、再建したばかりの新宿のムーラン・ルージュに入団。演技だけでは無くアドリブのギャグを混ぜて歌も歌うなど、他のコメディアンとは一線を画す存在として次第に注目を集める。

1950年、NHKがアメリカの『ビング・クロスビー・ショー』にパクッたラジオ番組『愉快な仲間』を放送。
メインの藤山の相手役のコメディアンとして抜擢され、ムーラン・ルージュを退団。
3年近く続く人気番組となり、認知度。人気が上昇していった。

1950年新東宝『腰抜け二刀流』で映画初主演。
1952年、源氏鶏太原作・河村黎吉主演『三等重役』に要領のよい人事課長役で助演。
河村が急逝したこともあって久彌が社長役として主演の「社長」シリーズへと発展する。
1953年からマキノ雅弘監督の『次郎長三国志』シリーズに三枚目の森の石松役で出演、シリーズ第8作の『海道一の暴れん坊』で無念の死を遂げるまで大活躍する。

テレビドラマでは、草創期から活躍した。
テレビ放送開始の1953年には、『半七捕物帳』(NHK)や『生と死の一五分間』(日本テレビ)に出演している。

1955年、豊田四郎監督の『夫婦善哉』に淡島千景と共に主演。
1955年、久松静児監督の日活『警察日記』で田舎の人情警官を演じ代表作の一つとなる。
これにより、単なるコメディアンから実力派俳優へと転進する。

1959年の第10回から1965年の第16回まで、7年連続で歌手としてNHK紅白歌合戦に連続出場。
1960年、『知床旅情』を作詞作曲し自ら歌うシンガーソングライターとしての活動もしていた。
#1970年に加藤登紀子がカバーしたほうが、有名だけどね。
森繁久彌2 ⇒ Ranking

舞台では1959年より「森繁劇団」を結成し、持続的に演劇活動を行う。
『屋根の上のバイオリン弾き』は900回にわたってユダヤ人・テヴィエ役を演じ、彼の代表作となった。

1982年、佐々木孝丸の後任として日本俳優連合の理事長に就任。
1986年、早稲田大学の卒業式に記念講演の講師として招かれた際、大学から卒業証書を受け正式に卒業を認められた。

森繁久彌5 ⇒ Ranking


1976年2月2日『徹子の部屋』第1回放送分のゲスト。

1989年に満壽子夫人、1999年に長男・泉に先立たれた。

2004年1月2日放送『向田邦子の恋文』が最後の俳優活動となった。
2004年1月にした坂本朝一元NHK会長へ芸能関係者の弔辞が最後となった。

2002年12月、沖縄県で心筋梗塞で倒れ危険な状態に陥ったが無事に回復した。

2003年に90歳を迎えたことを機に作家・演出家の久世光彦と<語り森繁、文は久世>の形で『大遺言書』を週刊新潮に連載し、題名どおり最後の仕事とするつもりだった。
2006年3月に22歳年下の久世が急逝し終了してしまい、「どうしてオレより先に逝った…」と嘆きその葬儀以来公の場に姿を見せることはなかった。なお単行本は新潮社で4冊刊行された。

2007年2月23日、「最後の作品」と銘打った朗読DVD『霜夜狸(しもよだぬき)』が出された。
1991年に舞台用に録音されながらもお蔵入りになった作品を元に新たに編集したものである。現代社会への憂いを込めた「久弥の独り言」も収録されている(元々久彌自身が録音する予定であったが、声が弱っていることから親交の深い竹脇無我が代読したもの)。
1991年に日本俳優連合の理事長の地位を降り、名誉会長に。

2009年8月、同年7月に風邪を引きそのまま8月3日に至るまで入院中である事が発表された。発熱などの重い症状は7月中に回復したが、痰が出る等の症状が治まらない為に大事をとって退院せずに病院で経過を診る措置がとられた。

2009年11月10日午前8時16分、東京都内の病院で老衰のため死去。

7代目立川談志は、『立川談志 日本の笑芸百選』(NHK BS2)や自身の著書等で「日本最高の喜劇役者は森繁久彌」と絶賛している(談志だから、すべてを絶賛しているわけでは無い)。

竹脇無我の父・竹脇昌作とはアナウンサー時代からの親友である。無我は森繁と自殺した自分の父の姿とがだぶることから、彼を「オヤジ」と呼び慕っている。


受賞・受章歴
☆紺綬褒章(1964年)
菊池寛賞(1974年)
☆紫綬褒章(1975年)
芸術選奨文部大臣賞(1979年)
第1回都民文化栄誉章(1983年)
☆文化功労者(1984年)
早稲田大学芸術功労者表彰(1985年)
☆勲二等瑞宝章(1987年)
☆文化勲章(1991年)
日本アカデミー賞協会栄誉賞(1992年)
日本映画批評家大賞ゴールデン・グローリー賞(1995年)
東京都名誉都民(1997年)

 ;森繁久彌 さんの、ご冥福をお祈りいたします。→


 さらば大遺言書

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