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山口百恵:着歌ランキングを占拠

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2010/01/21(木)
山口百恵:元歌手・女優
山口百恵0

NEWS:着歌ランキングを占拠

1972年12月、オーディション番組『スター誕生!』で、牧葉ユミの「回転木馬」を歌い、準優勝、20社から指名を受ける。
ホリプロダクション(現ホリプロ)、レコード会社はCBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)に所属。

1973年4月、映画『としごろ』に出演し、5月21日に同名の曲で歌手としてもデビュー。森昌子・桜田淳子と共に「花の中三トリオ」と呼ばれた。デビューのキャッチコピーは「大きなソニー、大きな新人」。
     山口百恵5  としごろ  ⇒ Ranking

デビュー曲の「としごろ」は、スタッフの期待以下のセールスに止まったため、第二弾の「青い果実」ではイメージチェンジを図り、大胆な歌詞を歌わせる路線を取った。これは「青い性路線」(「性典ソング」)と呼ばれるようになり、それは1974年の「ひと夏の経験」の大ヒットで大きく花咲くこととなった。
山口百恵6  ひと夏の経験

年端のいかない少女が性行為を連想させるような際どい内容を歌うという、この「青い性」路線で百恵は絶大な人気を獲得することになる。歌詞の内容は際どかったが、百恵は年齢が低くビジュアル面では純朴な少女というイメージだった。歌とビジュアルのギャップ、それに伴うある種の背徳感が、百恵の人気を独特なものにしていったと言われる。
これは、百恵自身のみならず、所属事務所やレコード会社による周到なイメージ戦略の賜物でもあった。
「ひと夏の経験」を歌っていた時期のインタビューでは大抵「女の子の一番大切なものって何だと思いますか」と質問されたが、百恵は全て「まごころ」で通した。
#「ひと夏の経験」の歌詞に、♪あなたに、女の子の一番大切な、ものをあげるわ♪ とあるため。

1974年には青春映画の名作『伊豆の踊子』に主演し、演技でも評価を得る。
相手役の三浦友和とはグリコプリッツのCMでこの年の夏に共演済であった。相手役は、一般公募で募集したが、このグリコCMを観た『伊豆の踊子』の監督、西河克己氏が最終選考の中に三浦友和の書類を入れたと言われている。
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その後二人は、共演作を次に出し、ヒット。二人は「ゴールデンコンビ」と呼ばれた。
百恵の主演映画13作のうち12作は三浦友和との共演である。

1974年10月からはTBSのテレビドラマ赤いシリーズ(いわゆる大映ドラマ)でも好演、高い人気を集め、6年にも及ぶ人気ドラマとなる。

1976年 にはブロマイドの年間売上成績で第1位に輝いた。

「横須賀ストーリー」から阿木燿子・宇崎竜童夫妻の作品を歌い、新境地を開く。この二人を作家として指名したのは、周囲のスタッフではなく百恵本人だった。
  横須賀ストーリー ⇒ Ranking


1978年の『第29回NHK紅白歌合戦』では紅組のトリを務めた。10代の歌手が紅白のトリとなったのも百恵が初。この記録は、絶後である。

所属事務所「ホリプロ」が東京都目黒区に建てた自社ビルは、百恵の成功によるところが大きいことから「百恵ビル」と呼ばれることもある。

1979年には、評論家の平岡正明が『山口百恵は菩薩である』を著すなど、多くの文化人に現代を象徴するスターとして語られた。

写真家篠山紀信は百恵のデビュー当時から被写体として何万枚も撮り続けて来たが、度々、印象的な写真を発表し、注目を集めた。
1970年代に篠山が最も多く撮影した女性は百恵であり、「それは時代が山口百恵を必要としていたから」とし、百恵を「時代と寝た女」と称した。

人気作詞家だった阿久悠は、『スター誕生!』の審査委員長であったが、同番組出身である百恵には作品を一切提供していなかった。その理由のひとつとして、
「当時は桜田淳子に(詞を)書いていたから、同系統の歌手には書かないことにしていた」。

1979年10月20日、大阪厚生年金会館のリサイタルでその役柄のイメージのまま、
 「私が好きな人は、三浦友和さんです」と、三浦との恋人宣言を突如発表する。
原因はその前日の10月19日の夜、週刊誌にフォーカスされたのがきっかけという説もある。
三浦も記者会見で「結婚を前提にしてつき合っています」と語った。

1980年3月7日には三浦との婚約と同時に、「わがままな…生き方をわたしは選びました。(中略)お仕事は全面的に、引退させていただきます」と芸能界引退を公表し、ファンに大きなショックを与える。
その一方で、迫り来る引退を視野に入れた形でのレコードのリリースや公演の予定を発表。1978年のキャンディーズで定着した引退記念興行が大々的に展開されることになった。

1980年10月5日、日本武道館で開催されたファイナルコンサートでは、ファンに対して「私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」とメッセージを言い残し、そして最後の歌唱曲となった「さよならの向う側」で堪えきれずに、涙の絶唱となった。その後、百恵がマイクを置いて、舞台裏へ去っていったシーンは、ファンの間では伝説となっている。
なおこのマイクは長らく三浦家に保存されていたが、縁あって、現在小樽にある石原裕次郎記念館に展示されている。

ファイナルコンサートの翌日である、10月6日に放送された『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)の引退特集番組では、当時の人気歌手そう集合といった感じで、百恵の最後の雄姿を見守っていた。
この夜ヒットの放送は、歌謡番組史上の傑作として現在も語り草となっている。
この当時の同番組の司会者であり、引退直前まで親しい間柄でもあった芳村真理はこの回の放送につき、番組勇退後の著書の中で
「いつもはスタッフ達の怒声も飛び交い、にぎやかなスタジオであるはずが、この時はとても静かで、感動的だった」「番組の放送が終った後も、みな去るのが辛く、VTRも回しっぱなしでお別れ会が続いた」
と放送時のスタジオの様子を振り返っている。

現役歌手として最後のテレビ生出演は、10月13日放送の『山口百恵スペシャル ザ・ラスト・ソング』(日本テレビ)である。番組の冒頭で「秋桜」、最後に「さよならの向う側」を歌唱したが、この時の百恵は一切の涙を見せずに、歌唱終了後は晴れやかな笑顔でサラリと手を振って、秋桜の花道の向こうに消えていった。

正式な完全引退は10月15日のホリプロ20周年記念式典。その時に歌った曲は「いい日旅立ち」である。
式典の後同ホテル内に於いて午後8時半過ぎに引退記者会見が開かれたが、記者の多さから開始直後、前列にいた百名近いスチール用カメラマンと後方のビデオカメラマンとの間で揉める場面もあり中断しかねない状態だった。
それでも終始百恵は落ち着いた様子で笑顔も見せている。
この会見はこの当日放送された『水曜スペシャル特番 山口百恵 今夜 旅立ち!』(テレビ朝日)で番組の終わりに一部生放送され、これが事実上芸能人として現役最後のテレビ生出演となった。

引退時は21歳(22歳の誕生日の約3か月前)で、芸能人としての活動はわずか7年半ほどだった。

結婚式は1980年11月19日に東京都港区赤坂の霊南坂教会、披露宴は東京プリンスホテル・鳳凰の間で招待客1800人が出席して行われた。
仲人は大映ドラマで百恵の父親役を数多く演じた宇津井健夫妻
友和側の主賓は東宝社長・松岡功、百恵側の主賓はCBSソニー会長・大賀典雄。
百恵の父親代わりはホリプロ社長・堀威夫。
披露宴の司会はメインが岡田真澄、サブが徳光和夫であった。

自叙伝『蒼い時』は、複雑な生い立ち、芸能人としての生活の裏面に加え、恋愛や性体験についても赤裸々につづられており、発売から1ヶ月で100万部を超え、12月までに200万部を超える大ベストセラーになった。
同書の仕掛け人といえる残間里江子にも注目が集まった。写真撮影は浅井慎平。
蒼い時 (集英社文庫 126-A)蒼い時 (集英社文庫 126-A)
(1981/01)
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引退後は、一貫して芸能界とは距離を置いている。ただし作詞家として活動したことがあり、1982年にアン・ルイスに提供した「ラ・セゾン」がヒットしている。

長男の通園に備えて自動車教習所に通い始めたころには、教習所の周りを百恵を狙ったカメラマンが囲み、苦悩したという。友和が人権擁護局に助けを求めた翌日には、カメラマンは一人も来なくなったという。

現在はキルト作家として活躍。作品が『東京国際キルトフェスティバル』等の展示会に出品されることも多い。

1980年のシングル「謝肉祭」は、歌詞の中で連呼する「ジプシー」という言葉が差別的表現であるとして1990年代後半以降レコード会社が発売を自粛した。現在は、当時の状況と言うものを念頭においての緩衝と言うことで、完全復活している。
#「ジャングルブック」事件、手塚治虫大先生のいくつかの作品。当時は、こうだったと教えることが、本当の差別撤廃に結びつくと思う。

引退25年・ホリプロ創立45年にあたる2005年、山口百恵の楽曲を使用したトリビュート・ミュージカル『プレイバックPart2~屋上の天使』が上演された。

2008年、長男の三浦祐太朗が4人組ロックバンド、Peaky SALT(ピーキーソルト)のボーカル・ギターとして、シングル「イトシセツナナミダ」でメジャーデビューした。

2009年9月、二男である三浦貴大が映画『RAILWAYS‐レイルウェイズ‐』で俳優デビュー。


NEWS:着歌ランキングを占拠

1月17日から着うた配信が始まった山口百恵さん(51)の楽曲が、配信初日のレコチョク同日付デイリーランキング「名曲/名盤・フル ランキング」で、上位10曲中、9曲を占める圧倒的人気となった。

 1)さよならの向う側
 2)美・サイレント
(3)ワインレッドの心(安全地帯)
 4)曼珠沙華
 5)しなやかに歌って
 6)謝肉祭
 7)愛染橋
 8)愛の嵐
 9)一恵
 10)ロックンロール・ウィドウ

1位となった「さよならの向う側」は、1980年10月5日、日本武道館でのファイナルコンサートでのラストナンバーで、歌い終わった後にマイクを置いてステージを去った、伝説的なシーンで広く知られている曲だ。新譜も含めた全ジャンル総合の「着うたフル」ランキングでも6位で、根強い人気を証明している。


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