1. 無料アクセス解析
ブログパーツ アクセスランキング

エメリヤーエンコ・ヒョードル:人類最強の男、タップする

どんな分野にも、アイドルは居る。 We Love Idol !!
--/--/--(--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2010/06/27(日)
エメリヤーエンコ・ヒョードル(露: Фёдор Емельяненко、英: Fedor Emelianenko):総合格闘家

ヒョードル0        

スポンサーリンク

Alpen楽天市場店@アルペン
ルネサンス楽天市場店
ムラサキスポーツ楽天市場店
ミズノネットショップ
運動★食事★サプリメントならコナミスポーツ
『東急スポーツオアシス楽天市場店』が全国送料無料でお届けします。



NEWS:皇帝、歴史的敗戦

1976年、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国ルハンシク州ルビージュネにてウクライナ人の両親の元に生まれた。姉1人、弟2人の4人兄弟。
2歳の時に家族とともにロシア・ソビエト連邦社会主義共和国ベルゴロド州スタールイ・オスコルに移住。
11歳になってサンボ・柔道を始めた。
1991年、高校を卒業。
1994年、専門学校を卒業する。
1995年から1997年まではロシア陸軍の消防隊および戦車軍に所属。曹長で兵役終了。
その後は柔道・サンボ両方の大会で活躍。
当時は後に世界柔道選手権を制するアレクサンドル・ミハイリン(en)とはライバル関係にあるなどヨーロッパではトップクラスの実力を有していたものの、国からの補助金が出なくなったため柔道を続けるには経済的な問題が生じていた。
 「国の支援が続いていれば柔道を辞めずにオリンピックを目指していたかもしれない」
と語っている。

2000年初頭、ニコライ・ピチコフの誘いでヴォルク・ハン率いるリングス・ロシア(現ロシアン・トップチーム)を見学。総合格闘技に興味を持ち、このジムで練習を始めた(このときよりボクシングの練習も開始)。
また来日のためのリングス新人オーディションに参加。前田日明からバラチンスキー・スレンに次ぐ評価を受け日本大会への出場が決まった。
2000年5月、リングスで総合格闘技デビュー。
2000年9月5日には初来日を果たし高田浩也と対戦。開始12秒で左右のフックによる秒殺KO勝利。
2000年12月22日、「KING OF KINGS 2000トーナメント」に出場。Bブロック1回戦でヒカルド・アローナに延長の末、3-0の判定勝ち。同日に行われた2回戦では高阪剛と対戦するも、出会い頭に目尻をカットし、ドクターストップによるTKO負け。フックをかわした後、肘が当たったため(肘撃ちは、反則)。高阪自身はのちに、アクシデントと語っている。

2001年4月6日、ロシアでミハイル・アポストロフ戦に勝利。リングス・ヘビー級王座決定トーナメントに出場。
2001年4月20日、1回戦ではケリー・ショール(en)に勝利。
2001年8月11日、決勝大会に進出。準決勝で本命と目されていたレナート・ババルに判定勝利。決勝ではボビー・ホフマン(en)が左肩脱臼のため棄権し不戦勝。初代リングス世界ヘビー級王者に就いた。
2001年10月20日、無差別級王座決定トーナメントに出場。1回戦で柳澤龍志に、準決勝ではリー・ハスデルに勝利。2002年2月15日、決勝戦でクリストファー・ヘイズマンと対戦。2度のダウンとロープエスケープでポイントアウト勝利、リングス2冠を達成。(リングス最後の興行。)

2002年6月23日、PRIDE.21においてPRIDE初参戦。当時パンクラス無差別級王者だったセーム・シュルトに、判定勝ち。PRIDEデビューを飾った。
2002年11月24日、PRIDE.23において、ヒース・ヒーリングにTKOで勝利。ヘビー級タイトルマッチ挑戦権を獲得。

2003年3月16日、PRIDE.25にて、初代PRIDEヘビー級王者アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラの持つタイトルに挑戦。3-0の判定により勝利。第2代PRIDEヘビー級王者となった。
2003年4月5日、リトアニアでBUSHIDO-RINGSに参戦。エギリウス・ヴァラビーチェスに一本勝ち。
2003年6月8日、PRIDE.26にて、ノンタイトル戦で藤田和之と対戦。チョークスリーパーで一本勝ち。
2009年のインタビューで
 『私に真っ当な打撃を与えたのはこれまでで藤田だけだよ。激しい打撃だったね。
  他の連中とは比較すらできない。』
と回想している。

2003年11月にはミルコ・クロコップとのタイトルマッチが行われる予定であったが、練習中に右手を骨折したため欠場。ミルコ対ノゲイラの暫定王者決定戦が代わりに組まれた。
2003年大晦日には3つのイベントによるヒョードル争奪戦が繰り広げられ、最終的にイノキ・ボンバイエに出場.
永田裕志に勝利。
これに関連して、年末には弟アレキサンダーと共にロシアン・トップチームからレッドデビルに移籍している。後にヒョードルは、チーム代表であったウラジミール・パコージンとの確執があったことを述べている。

2004年、16名によるヘビー級トーナメント「PRIDE GP 2004」に参加。
2004年4月25日に行われた1回戦で2000年のGP優勝者マーク・コールマンと対戦。下からの腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。
2か月後の2回戦でケビン・ランデルマン(対ミルコ・クロコップに勝利)と対戦となり、アームロックを極め一本勝ち。
2004年8月15日、決勝ラウンド。準決勝では、ファン投票で組み合わせが決定され、小川直也との対戦となる。開始54秒で腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。決勝はアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとの再戦。「人類60億分の1の最強を決める」と謳われたGP決勝は1ラウンド3分過ぎにグラウンドでヒョードルの額とノゲイラの頭頂部がバッティングし、ヒョードルの右眉上が切れて試合が中断。協議の結果無効試合となり、優勝者は決まらなかった。
4か月後の大晦日、「PRIDE 男祭り 2004」にて行われた再戦で判定勝ちし、PRIDEヘビー級王座を防衛するとともにヘビー級GP王者となった。

2005年4月3日、「PRIDE 武士道 -其の六-」でリングスで唯一の敗北を喫した高阪剛と4年半振りの再戦。試合前に高阪は「(ヒョードルには)穴が一杯ある」と語っていたものの、試合ではヒョードルが優勢に立ち、1ラウンド終了時にドクターストップによるTKOでリベンジを果たした。
2005年6月、ロシアのクストヴォで開かれた全ロシアコンバットサンボ選手権に出場し、100kg超級で優勝。
2005年8月28日、「PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦」にてミルコ・クロコップとのタイトルマッチが実現。最強の挑戦者を判定で退け、2度目の王座防衛に成功。
2005年大晦日に出場した「PRIDE 男祭り 2005」ではズールと対戦。1ラウンド開始26秒の秒殺タップアウト勝ち。

2006年1月26日、強力な打撃ゆえの慢性的な拳の怪我や骨折に苦しんでいたヒョードルは、サンクトペテルブルクの病院で右拳の手術に踏み切る。
2006年6月24日、同じサンクトペテルブルクの病院で、固定していた金属プレートの除去手術を受けた。
この手術のため、「PRIDE無差別級GP」の1回戦と、回復次第ではシード扱いで出場する予定だった2回戦を共に欠場。(ヴァンダレイ・シウバが代役参戦。)
2006年10月21日、マーク・コールマンを相手に復帰第1戦を行った。2Rに腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。
2006年12月31日、「PRIDE 男祭り 2006」でのヘビー級タイトルマッチでマーク・ハントと対戦。チキンウィングアームロックで一本勝ちし、3度目の王座防衛に成功。


2007年3月、総合格闘技イベントボードッグ・ファイトと契約。
2007年4月14日、地元ロシアのサンクトペテルブルク大会に凱旋出場。マット・リンドランドに腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。この大会には当時のロシア大統領ウラジーミル・プーチンや、イタリアの元首相シルヴィオ・ベルルスコーニなど政治家の観戦も目立った。
2007年4月にPRIDEが休止した後は、世界中の格闘技団体がヒョードルの獲得を競っている状況であった。
2007年10月、米国の総合格闘技イベントM-1 Globalと2年6試合の契約を締結。ファイトマネーは1試合につき基本給が200万ドル。これは契約金・ボーナスなどのその他報酬を含めない額であった。
2007年11月10日、チェコ共和国プラハで行われた第31回コンバットサンボ世界選手権100kg超級に出場し、4度目の世界王者となった。
2007年11月11日、ロシアの国家勲章であるピョートル大帝勲章を受章。
2007年12月31日、「やれんのか! 大晦日! 2007」でチェ・ホンマンと対戦、1Rに腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。

2008年2月8日、全ロシアコンバットサンボ選手権100kg超級に出場。秒殺を重ねて、優勝した。
2008年2月15日、コンバットサンボ大統領杯に出場し、100kg級で優勝している。
2008年7月19日、アメリカ合衆国のアフリクションの第1回大会「Affliction: Banned」において、元UFC世界ヘビー級王者ティム・シルビアと対戦。チョークスリーパーを極め、開始36秒で一本勝ち。、World Alliance of Mixed Martial Artsの初代世界ヘビー級王者となった。
2008年11月、主演映画『第5の死刑』の撮影をタイで行った(撮影は12月にクランクアップ)。
2008年11月16日、ロシア代表合宿に参加できないまま、コンバットサンボ世界選手権に出場。100kg超級の準決勝でブラゴイ・アレクサンドル・イワノフと対戦。5-8の判定で敗れ3位に終わった。

2009年1月24日、「Affliction: Day of Reckoning」において、アルロフスキーと対戦。1R3分過ぎ、跳び膝蹴りに対しカウンターで右フックを命中させ失神KO勝ち。WAMMAヘビー級王座の初防衛を果たした。
試合後には
 「危険な場面は無く、落ち着いて戦えた。跳び膝蹴りで彼はミスを侵した」
というコメントを残した。
2009年2月21日には全ロシアコンバットサンボ選手権に出場、100kg超級で連覇。

2009年4月29日、「DEEP M-1 CHALLENGE 3rd EDITION in JAPAN」で来日し、青木真也とサンボ衣着用・打撃ありのスーパーエキシビションファイトを行なった。

2009年8月1日、「Affliction: Trilogy」でジョシュ・バーネットと対戦予定であったが、ジョシュが試合前のドーピング検査で陽性反応が出たとして出場中止。その影響で同大会は開催中止。さらにAfflictionのMMA興行からの撤退が発表された。
2009年8月3日にStrikeforceと出場契約を交わしたことが発表された。

2009年8月28日、「M-1 Global Presents Breakthrough」でゲガール・ムサシと道着ありのエキシビションマッチを行い、腕ひしぎ十字固めでタップアウト。

2009年11月7日、Strikeforce初参戦となる「Strikeforce: Fedor vs. Rogers」で、ブレット・ロジャースと対戦。ヒョードルにとって金網での戦いは初めてであったが、右フックにより2ラウンドTKO勝ちを収め、WAMMA世界ヘビー級王座の2度目の防衛に成功した。

2010年6月26日の「Strikeforce: Fedor vs. Werdum」ファブリシオ・ヴェウドゥムと対戦し、1R 1:09下からのアームバーで一本負け。

ヒョードル3 ⇒ Ranking

NEWS皇帝、歴史的敗戦
2010年6月26日:「Strikeforce: Fedor vs. Werdum」
最強伝説を守り続けている“人類最強の男”“60億分の1の男”“ロシアン・ラストエンペラー”ヒョードル。
今回の挑戦者は『PRIDE』で活躍し、ミルコ・クロコップの柔術コーチとしても知られ、現在ではシュートボクセアカデミーでもトレーニングを積んでいるヴェウドゥム。

1R、じりじりとヴェウドゥムに歩み寄っていくヒョードル。ヴェウドゥムの右ストレートに右アッパーを合わせ、そこから左フック! 右アッパー! ヒョードルのパンチに押されるようにヴェウドゥムが尻餅をつく。
ヒョードルは一気にパンチと鉄槌を落とすが、ここでヴェウドゥムが三角絞め。
ヴェウドゥムは三角絞めと腕十字のコンビネーションで攻め込み、ヒョードルは必死に体を振ってそこから脱出しようとするが、ヴェウドゥムの三角絞めががっちりと入り、ヒョードルがタップ。
ヴェウドゥムがヒョードルからタップタップアウト勝利。歴史を変えた。

  ヒョードル を、応援しよう!→





ヒョードル  → 人気ブログランキングへ
ヒョードル  →  画像を見るには、“続き”を見てください。

ヒョードル  → 人気ブログランキングへ
ヒョードル  → ブログランキング
ヒョードル  →  YouTubeを見るには、“続き”を見てください。

グッズ・ショップは、こちら。
アイドル。旬なショッピングモール。へ
ヒョードルの DVD-SHOPのショッピング
ヒョードルの Training-SHOPのショッピング
ヒョードルの BOOK-SHOPのショッピング

  ヒョードル を、応援しよう!→





* ヒョードル  →  YouTube





ヒョードル  →  画像

ヒョードル1
ヒョードル2

ヒョードル5
ヒョードル4

ヒョードル8

ヒョードル6

ヒョードル7


人気ブログランキングくつろぐにほんブログ村 芸能ブログへ


スポンサーサイト

タグ : ヒョードル 総合格闘技 人類最強の男 60億分の1の男 ロシアン・ラストエンペラー

この記事へのコメント
URL:
Comment:
Pass:   
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック

 | Copyright © アイドル。旬なエンタメニュースチェック。 All rights reserved. | 

 / Template by パソコン 初心者ガイド
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。