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野沢那智:肺がんのため死去。ブルース・ウィリス の声は、誰が?

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2010/11/02(火)
野沢那智:声優

野沢那智0 

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日本声優界の大御所の一人。
父は作家の陸直次郎、姪はタレントの野沢直子、長男は俳優の野沢聡。

NEWS:肺がんのため死去

中学生の頃、家の近くにあった「明治座」という芝居劇場へ毎日のように通う。ただし、見ていたのは、舞台装置。明治座から帰ると、みかん箱を舞台に見立てたミニチュアを作って遊んでいた。

大学3年生の頃からプロ劇団に出入りするようになり、大道具などの仕事を手伝わせてもらうようになる。
ところが、舞台美術家から「お前絵が下手だな。思いつきはいいんだけど。向いてないよ。やめろ」断言される。
芝居関係の仕事がやりたかったため、今度は舞台演出家を目指すようになる。

「舞台監督をやっていると、横に演出家が付くじゃないですか。よく見てみたら演出家は役者にわぁわぁ言って偉そうなんです。舞台監督って演出家の意図を実現するための下働きですからね、演出家の方が格好いいなーって思って。それで仲間を集めて芝居を始めちゃったんですよ」



劇団七曜会に演出家研究生として入団。主催の高城淳一は、開口一番、
 「演出家希望?とりあえず役者やれ!」
いきなり舞台に出ることになる。それから3年程、七曜会で役者を続けることになった。
#七曜会時代の先輩には肝付兼太、青野武らがいる。

当時誕生したばかりだった洋画の吹き替えのアルバイトをこなすようになった。

「当時はテレビドラマも生放送だから、ドラマの仕事が来ると稽古やリハーサルで一週間は拘束される。でも、それじゃ舞台のための稽古ができない。吹き替えは一定期間で終わるから、時間的に効率のいいアルバイトだった。役者を目指しているからには、稽古時間が欲しいじゃないですか。それに、一応セリフを喋る仕事だから、まったく関係ない業種のアルバイトより、吹き替えのほうが勉強になりますからね。僕は演技のデッサンとして面白いなと思ったし、実際に収入もなかった」



劇団七曜会を退団後、野沢は役者仲間を集めて「劇団城」を立ち上げた。初めて演出を担当するが、客入りは悪く、金はかかるとたちまち運営に行き詰まり、劇団は分裂。
責任者であった野沢は3年間で370万円(現在の価値で2000万円ほど)もの借金を抱え込んでしまった。
アパートを引き払い、友達の家を転々としているような生活で、15円のコッペパンで「今日は食べたぞ!」と満足していたほどの赤貧生活だった。当時の生活について野沢は「少しも辛くなかったのは、芝居が好きっていうのもあるけど、日本中が貧乏だったからでしょうね」と振り返っている。

そんな時、劇団七曜会の先輩である八奈見乗児と道端で偶然出くわした。「何か仕事がないですか」と聞いたら、「お前、アテレコやれ。事務所は紹介するから」とに言われるが、冗談だと思ってまともに取り合わなかった。
一週間後また偶然八奈見と出くわすと「もう事務所に連絡入れたぞ」と言われ、四ツ谷にあるプロダクションに連れていかれる。そこは裏通りにある魚屋の2階で、階段も狭く「俳優の事務所っつったって汚ねぇんだな。何ていうプロダクションなんだろう」と見てみると「東京俳優生活協同組合」だったという。
ここから、事務所の熱心な売り込みもあって、野沢は声のアテ師の仕事を始めた。
テレビドラマ黎明期に、人手不足のテレビの仕事にも参加したが、演出などではなく端役ばかり。
そこで出くわしたのが、やはり人手不足の現場がアフレコの世界であった。

「アテレコで若い男の役といえば野沢那智」という感じで、次々と仕事が回ってきて、1日3本こなしたこともあったと。
1年半アフレコの仕事をこなし、借金が半分になったため、そろそろ役者を辞めようと思い始めた。
その時、「最後にこのオーディションに行くだけ行ってきてよ。ほとんどキャストは決まっているので、落ちるから大丈夫」と言われて紹介されたのが『0011ナポレオン・ソロ』であった。気楽にオーディションを受けたが、既にイリヤ・クリヤキン(デヴィッド・マッカラム)役は愛川欽也に決まっていたのが、何故か配役を野沢に変更された。
野沢が知人から聞いたところによれば、ディレクターが野沢の出演している番組を偶然見て「誰だ?この女みたいな芝居する奴は」と注目し、配役を決定したという。また、『0011ナポレオン・ソロ』が視聴率40%くらいを取る大当たりになったため、役者を辞めるに辞められなくなってしまった。
#「恐れ入谷の鬼子母神」ならぬ「恐れイリヤのクリヤキン」。

劇団の借金を返済するため声優業を開始して、次第に人気を獲得していった野沢だが、最終的には声優の世界から遠ざかり、自分の劇団(劇団薔薇座)を復活させ演出家としても活動する。

TBSラジオの深夜ラジオ番組『パックインミュージック』でパーソナリティとして白石冬美とコンビを組み、文化放送など局を移しても2人で「那智チャコ」の愛称でラジオ番組のパーソナリティ・コンビとして好評を博した。
番組終了決定の際にはファンがTBSへ抗議のデモをかけるほどだったという。番組の初代ディレクターで番組終了決定時にはラジオ編成部で番組編成を担当していた熊沢敦は、「(パックインミュージック終了に至ったのは)比較的年齢の高いヤング層のラジオ離れがあり、他局と同じことをしていたのでは今後ジリ貧になる恐れがあったため、あえて終了という決断をした」と、説明している。

2008年、『コブラ』がOVAとして復活。TVアニメ『スペースコブラ』でコブラを演じた野沢が再びコブラ役に起用された。これに関して原作者の寺沢武一は「コブラは野沢でなければ作らせない=作らない、意味が無い」とまでコメント。野沢本人も声優アワードにまつわるインタビューなどにおいて「今年はコブラだ!」と気合と意気込みをアピールした。


劇団薔薇座には数多くの声優が在籍した。その後のメンバーの活躍分野は多岐に渡り、安崎求のようにミュージカル分野で活躍する者から、岸野幸正の様に自らの劇団を持ち舞台で活躍する者、玄田哲章(アーノルド・シュワルツェネッガー)・高島雅羅(デミ・ムーア)・鈴置洋孝(ブライト・ノア)のように洋画・アニメーションで売れていった者、菅谷勇のようにナレーションを得意分野とする者、戸田恵子(マチルダ・アジャン)のようなマルチタレントに位置する者など、多様な人材が育った。
当時、野沢の指導の厳しさは「演劇界の修羅」とまで評され、ダメ出しの際に飛ぶ「馬鹿、死ね」等の罵詈雑言、しまいには灰皿やパイプ椅子を投げつけられる等の凄まじさから「ナチ収容所」等様々なあだ名が付けられた。

吹き替えの代表として、アラン・ドロンがある。フランス本国より日本での人気は、彼の吹き替えの良さによる物とも思える。
アラン・ドロン自身の声は、野沢が演じるものより低い声である。ディレクターも交えて試しにドロンに似せた低音で演じてみた時、その声で日本語を話すと重くなりすぎ、泥臭く聞こえてドロンの外見のイメージと合わないことがわかった。
そこで「ドロンの顔つきや体つきからイメージされる、甘さのある柔らかい雰囲気で」との方向性で声のトーンを決めていったという。「アラン・ドロン自身のような低音でフランス語を話してると響きが良いんですけど、その声で日本語を話すと聞こえ方が違う」と、日本語とフランス語の聴感の違いも感じさせる回答を野沢は述べている。また、ドロンの顔と体のイメージから、演技としても大芝居を避けて「さらりと、さざ波のような感じで声を出そう」という演技方針を固めていったが、「さざ波って言っても難しいんです」とも述べて、二枚目を吹き替える難しさを語っている。

「二枚目という端正な魅力を生かすには、汚い日本語では絶対に成立しない。正確にいうと、アラン・ドロンを演じているわけじゃない。彼が映画の中で役を通して表現したかったことを、日本語で表現している」


役作りについては「3日前からドロンになれてないと収録できない」と話している。
収録の際のマイクに対する立ち方も役作りのひとつになっており、ドロンの吹替の時は大抵左端のマイクを使い、隣の相手役にも敢えて向き合わずに収録するという。その位置は「人と関わらない立ち位置」だといい、「いわば壁を作ってる感じで…相手役の台詞は聞きますが、相手役は見ないし、体も寄せてません。見ながらやると関わってしまうので…」という状態で演技することが多い。作品映像を見ながら演技する吹替現場において「その位置だと、映像がいちばん遠くなるので合理的じゃないです。でも、そういう他人と関わらない位置でやらないと、やり辛い」と孤独な役を吹き替える際の野沢流の“作法”を明かしている。
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そのほかには、アル・パチーノ、ダスティン・ホフマン、ブルース・ウィリス、山田康雄の後任としてのクリント・イーストウッド、ジュリアーノ・ジェンマが有る。
ブルース・ウィリスの「ダイ・ハード」は、そのほとんどがアドリブとのこと。世界一付いていない男のぼやきは、台本では出来ないのだろう。また、その能力もあるということだ。


声優と呼ばれることに難色はないが、吹替を長く牽引してきた多くの名優たちと同様に「声優の前に俳優であれ」との考えから、声優という言葉はあまり使わないようにしている。
声優を目指す若人には「自分の体で表現できる心をとらえられる役者になれ」と言っており、その結果、声の仕事が主になってもいいとのこと。
インタビューなどにおいて、声優になれない声優志望者に対して「そういう人たちには俳優になろうという気がない(声優とは俳優の仕事の一部だという事を理解していない)からだ」と苦言を呈したことがある。

NEWS
2010年10月30日、肺がんのため東京都内の病院で死去。72歳。葬儀・告別式は近親者で行う。後日お別れ会を開く予定。喪主は長男、聡(そう)氏。

マネジャーによると、野沢さんは1年ほど前から体調を崩し、今夏受けた精密検査で肺がんを患っていることが判明。8月から都内の病院に入院し、抗がん剤投与などの治療を続けてきたが、容体が回復しないため、10月26日に別の都内の病院に転院していた。
が、次第に衰弱して話ができなくなり30日、妻の麗子さん(71)、長男の声優で俳優、野沢聡(33)ら親族、1992年に設立した俳優声優養成所の生徒ら総勢約30人に見守られ、静かに息を引き取った。

以前はヘビースモーカーだったが、7年前に禁煙。体調に気を配りながら、仕事をこなしてきたというから、何とも無念だろう。
「喫煙者の方が肺がんリスクが高いことに変わりはないが、がん全般に言えることは、過労やストレスによる免疫力低下が体に与えるダメージ。日々の健康管理とマメな定期検診が最大の防御になります」(医療ジャーナリスト)


シルベスター・スタローンなどの声優、羽佐間道夫さん(77)談話。
「声優界にとって大きな星を失ってしまった。訃報を聞いて声優界も時代が変わっているのかなと思いました。アラン・ドロンなどのアテレコをされてきて、次世代の育成にも熱心だった。昨年9月の『したまちコメディ映画祭in台東』でご一緒したが、コンディションが悪そうでした。病気のことは知っていましたが、2週間前に電話があって、声が出ないのに『大丈夫なの』と私の健康を気遣うので、『お前こそ大丈夫なのか』と言いましたよ。われわれの世代ではホープでした。非常にショックです」

  野沢那智 さんの、ご冥福を祈ります。→






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