2008/09/03(水)
小池百合子:衆議院議員

兵庫県芦屋市出身。甲南女子中学校、甲南女子高等学校卒業。(芦屋のお嬢様ですね。)
関西学院大学社会学部を中退。カイロ大学文学部社会学科を卒業。
20代で一度結婚するも離婚し、その後現在まで独身を通している。
ジャーナリスト時代はアラファートや、カダフィへの単独インタビューなどで名声を高めた。
1979年〜1985年 日本テレビ 「世相講談」 アシスタントキャスター
1989年〜1992年 テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」メインキャスター。
1992年7月、第16回参議院議員通常選挙にて、日本新党より比例区に立候補し参議院議員に当選。
1993年7月の第40回衆議院議員総選挙で兵庫県第2区から出馬し、衆議院議員に当選。
その後の政界再編成の間、新進党、自由党、保守党、と渡り歩き、2002年12月27日自由民主党に入党する。
第1次小泉第2次改造内閣で環境大臣として入閣。
2003年の総選挙では近畿ブロック比例単独で比例名簿第3位に登録されて当選。
第2次小泉内閣でも環境大臣として再任。「クール・ビズ」の旗振り役となった。
2005年衆院選で、郵政民営化法案に反対票を投じた小林興起への“刺客”として、兵庫6区から東京10区にお国替え。小林興起の自滅もあり、圧勝で当選。
温暖化対策という名目で環境税と銘打った新税の導入構想を発表。反対意見もあり、先送り。
第2次小泉改造内閣より内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)も兼務。
安倍内閣が発足すると国家安全保障問題担当の内閣総理大臣補佐官に就任。
不規則発言で辞職した久間章生の後任として、第2代防衛大臣に就任。

2007年8月、米下院慰安婦決議問題で日米関係に与えていたマイナス・イメージを払拭すべく、第167回国会を欠席してまでアメリカを電撃訪問。有力者に次々と会談。
だが、国会を欠席したことから、パフォーマンス製が高いと、バッシングを浴び始めて。
、国家安全保障問題担当首相補佐官時代から宿願としていた防衛省の「情報保全」システム確立のため、プロパーの守屋武昌に代えて警察庁出身の西川徹を防衛事務次官とする小池人事案を遂行しようとしていたが、防衛省中枢からマスコミに漏洩され、また、守屋が安倍や官房長官塩崎恭久に自分を退官させる小池人事案の撤回を直訴したこともマスコミに漏洩されたためバッシングを浴びる。
最終的に、プロパーの増田好平(大臣官房長)を事務次官にすることで決着。
首相官邸のリーダーシップの無さ・危機管理能力の無さが露呈してしまった。
安倍改造内閣において、「皆さんには奇異に思われるかもしれませんが、防衛省内で(イージス艦機密情報漏洩事件の)責任をどなたも取っておられませんので、この点で(国家安全保障担当である)私は責任を取りたいと思います」「情報保全という大きな課題が本当に意味をなすために、きっちりとした体制でやっていただきたい。そのために、人心を一新していただきたい。そうして、そこ(情報保全)を任せられる人に大臣になっていただきたい」職員や記者たちが、あっけにとられていると、「だから私は辞めるって言ってんのよ」と吐き捨てるように述べ、去っていった。
、「国防という国政の最重要部門を担当させていただきまして、まさに女子の本懐という気持ちでございました。国防につきまして"I shall return(私は必ず戻って来る)"の気持ちでこれからもやって参りたいと思います 」
2008年9月1日夜、福田総理が突然辞意表明を行い、自民党総裁選挙が急遽行われることになったが、麻生太郎幹事長の対抗馬として、名前が挙がっている。出馬条件の推薦人20名も確保できるようだ。
小池式コンセプト・ノート
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兵庫県芦屋市出身。甲南女子中学校、甲南女子高等学校卒業。(芦屋のお嬢様ですね。)
関西学院大学社会学部を中退。カイロ大学文学部社会学科を卒業。
20代で一度結婚するも離婚し、その後現在まで独身を通している。
ジャーナリスト時代はアラファートや、カダフィへの単独インタビューなどで名声を高めた。
1979年〜1985年 日本テレビ 「世相講談」 アシスタントキャスター
1989年〜1992年 テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」メインキャスター。
1992年7月、第16回参議院議員通常選挙にて、日本新党より比例区に立候補し参議院議員に当選。
1993年7月の第40回衆議院議員総選挙で兵庫県第2区から出馬し、衆議院議員に当選。
その後の政界再編成の間、新進党、自由党、保守党、と渡り歩き、2002年12月27日自由民主党に入党する。
第1次小泉第2次改造内閣で環境大臣として入閣。
2003年の総選挙では近畿ブロック比例単独で比例名簿第3位に登録されて当選。
第2次小泉内閣でも環境大臣として再任。「クール・ビズ」の旗振り役となった。
2005年衆院選で、郵政民営化法案に反対票を投じた小林興起への“刺客”として、兵庫6区から東京10区にお国替え。小林興起の自滅もあり、圧勝で当選。
温暖化対策という名目で環境税と銘打った新税の導入構想を発表。反対意見もあり、先送り。
第2次小泉改造内閣より内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)も兼務。
安倍内閣が発足すると国家安全保障問題担当の内閣総理大臣補佐官に就任。
不規則発言で辞職した久間章生の後任として、第2代防衛大臣に就任。

2007年8月、米下院慰安婦決議問題で日米関係に与えていたマイナス・イメージを払拭すべく、第167回国会を欠席してまでアメリカを電撃訪問。有力者に次々と会談。
だが、国会を欠席したことから、パフォーマンス製が高いと、バッシングを浴び始めて。
、国家安全保障問題担当首相補佐官時代から宿願としていた防衛省の「情報保全」システム確立のため、プロパーの守屋武昌に代えて警察庁出身の西川徹を防衛事務次官とする小池人事案を遂行しようとしていたが、防衛省中枢からマスコミに漏洩され、また、守屋が安倍や官房長官塩崎恭久に自分を退官させる小池人事案の撤回を直訴したこともマスコミに漏洩されたためバッシングを浴びる。
最終的に、プロパーの増田好平(大臣官房長)を事務次官にすることで決着。
首相官邸のリーダーシップの無さ・危機管理能力の無さが露呈してしまった。
安倍改造内閣において、「皆さんには奇異に思われるかもしれませんが、防衛省内で(イージス艦機密情報漏洩事件の)責任をどなたも取っておられませんので、この点で(国家安全保障担当である)私は責任を取りたいと思います」「情報保全という大きな課題が本当に意味をなすために、きっちりとした体制でやっていただきたい。そのために、人心を一新していただきたい。そうして、そこ(情報保全)を任せられる人に大臣になっていただきたい」職員や記者たちが、あっけにとられていると、「だから私は辞めるって言ってんのよ」と吐き捨てるように述べ、去っていった。
、「国防という国政の最重要部門を担当させていただきまして、まさに女子の本懐という気持ちでございました。国防につきまして"I shall return(私は必ず戻って来る)"の気持ちでこれからもやって参りたいと思います 」
2008年9月1日夜、福田総理が突然辞意表明を行い、自民党総裁選挙が急遽行われることになったが、麻生太郎幹事長の対抗馬として、名前が挙がっている。出馬条件の推薦人20名も確保できるようだ。
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