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石野真子:デビュー30年をすぎても、まだまだ現役

どんな分野にも、アイドルは居る。 We Love Idol !!
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2009/03/17(火)
石野真子:アイドル
石野真子0
#Wikiの記述が詳細で、年代的にビンゴなので、長文です。

実妹に女優のいしのようこ(旧表記・石野陽子)と宝乃純(旧名・石野敦子)。

1975年:
躾に厳しかった父親も何か習い事をすることには理解を示してくれる。歌のレッスンを受けたいと父親に相談すると、「きちんとした所に通うのなら、いいだろう」との許しがでた。
平尾昌晃歌謡学院大阪校のオーディションを受けて合格したことで同校のレッスンに通うことになる。

1976年:
この頃にデビュー前の川崎麻世と文通をしていた。この時期二人は、共に平尾昌晃歌謡学院大阪校へ通う生徒だった。
#今で言うメル友?

平尾昌晃歌謡学院の先生から「本気で歌手になる気があるならオーディション番組を受けてみないか、君の実力ならきっと受かると思う」と勧められる。
これがきっかけで日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』に応募ハガキを出す。
父親に「オーディションを受けてもいいかな?」と訊ねると、「どうせ落ちるんだから、まあいいよ」と反対されなかった。

1977年:
1月26日、石野は『スター誕生!』の予備審査と予選会を勝ち進み、本選の大阪大会(豊中市民会館、テレビ放送日1977年2月13日)に出場。
審査発表では会場の一般審査員からの得点だけで合格点を超えてしまい、阿久悠ら専門審査員を驚かせる。
当時の採点システムは、会場の一般審査員からの500点と専門審査員5人×100点の500点=合計1,000点を出場者7人が何点獲得出来るかである。合格ラインは250点(5人出場時の大会では300点)で、この日の石野の最終得点は530点にもなり、1,000点の過半数を一人で独占した結果になった。
ただ、『スター誕生!』は、決戦大会で事務所のスカウトがなければ、それで終わりと言う厳しいシステム。プロの卵を見つける場であった。(喉自慢大会とは違う。)

3月23日、運命の『スター誕生!』第20回決戦大会に出場。(東京の後楽園ホール、放送日1977年4月3日)。
父親から「これに落ちたら、もうオーディション番組を受けたいなんて気持ちを起こすんじゃないぞ」と念を押されて挑戦した。
「11番、石野真子、一所懸命頑張りました、どうぞよろしくお願いします!」と挨拶した石野に対し、スカウト意向の芸能事務所プラカードが16社挙がる。
ちなみに、同決戦大会の合格者には石野の他に渋谷哲平がいた。

ちなみに、『スター誕生!』決戦大会に進む前の大阪大会に出場した際、バーニングプロダクションのスカウト担当者から「もし決戦大会でダメでもうちに来ませんか、責任を持って歌手に育てますから」と声をかけられていた。
伝説の領域に入りかねないが、、デビュー前からファンが付いていたと言われているが、実際に『スター誕生!』第20回決戦大会(1977年4月3日)のスカウト発表場面の映像によると、素人の石野に対して早くも会場の男性ファンから「真子ちゃーん!」との声援が飛んでいる事が確認できる。
『スター誕生!』の合格を経て、石野の所属事務所はバーニングプロダクションに決まり、その後約1年間をかけてデビューの準備を行う。父親の希望もあってデビュー曲が出来上がるまでは芦屋の実家で歌のレッスンに励み、高校2年の夏休み1ヶ月間は東京へ出向いて日本テレビ音楽学院に通った。

デビュー曲の作曲を担当する吉田拓郎の、初対面の印象は、後に著書の中で「本当にこの人デビューするんですか?」と思うほど太っていたのだが、芸能界は不思議なところでレコーディングの時には見違えるほど変身させて連れて来た、と記している。

1978年:
歌手デビューのため上京後した2年生3学期に堀越高等学校へ転校。

1月7日、東京へ上京する。所属事務所から芦屋市の実家へデビュー曲が決定したとの知らせが届き、レコーディング準備に入るためいよいよ上京することになった。
電話越しで『狼なんか怖くない』を初めて聴いた。

3月25日、デビュー・シングル『狼なんか怖くない』(作詞阿久悠/作曲吉田拓郎/ジャケット撮影篠山紀信)がビクターから発売。17歳のアイドル歌手として芸能界にデビューした。
キャッチフレーズは、「100万ドルの微笑」。ファースト・アルバム『微笑』の帯にもその記述が見られる。また、八重歯とタレ目であることをチャームポイントにしていた。

『狼なんか怖くない』を初めてお客さんの前で披露したのがTBSテレビの『笑って笑って60分』で、後日感想を訊かれて「私の歌をあんなに喜んでくださるなんてもう最高!、すごく嬉しかった!」とコメント。

3月27日、デビューからたったの2日目にしてフジテレビ系列の音楽番組『夜のヒットスタジオ』に出演歌い終えた石野に対し、司会者の芳村真理は「いやー真子ちゃん、デビューして2日目! ご苦労様でした!」と声をかけている。石野の所属事務所バーニングプロダクションは同番組と強いパイプを持いて、新人歌手の番組初出演に優遇措置を受けていた。

6月25日、シングル2作目『わたしの首領』(わたしのドン)発売。
8月、シングル1作目と2作目の作曲担当の吉田拓郎がパーソナリティーを務めるラジオ番組『セイ!ヤング』にゲスト出演。本番中のCM開けのジングル「♪セ~イ!ヤ~ング♪」まで口ずさんだ石野は吉田から「そうやって、いつも歌ってるの?」と尋ねられ、「子供の頃からいつも歌っています」と告白する。

当時のモノマネ芸は、アメリカ人美女プロゴルファー「ローラ・ボー」と「アグネス・チャン」。

8月27日、いわゆる「西武園1万人コンサート」開催。この年の夏休み最後の日曜日に、初となるコンサートを西武園(埼玉県所沢市)で行う。ファンの集いを兼ねたこのコンサートは基本的に中学生をターゲットにしたもので、石野の歌を楽しみむ一方、大学教授を招き「宿題なんか怖くない」いうタイトルで夏休みの宿題対策を冗談を交えて行うという企画だった。集まったファンへのプレゼントとして夏休み期間のお天気情報(天候、気温、湿度)が配られた。

10月22日、石野が初めて出演する映画『九月の空』が松竹大船撮影所にて撮影開始。郷ひろみが、ライバル高校の剣道部員役で友情出演をしている。
坂東正之助とのキスシーンがあるのだが、プライベートですらキスの経験が無かった石野は当日、相当緊張してしまう。撮影自体は1度でOKを出せたものの、本番後の石野は大粒の涙をポロリと流してしまった。

11月18日、マスコミ関係者を招き東京プリンスホテルにて「早く来い来い、クリスマス・ホームパーティ」を開催。これは石野サイドが普段お世話になっているマスコミ関係者とその家族に感謝の意を表して企画した“ちびっ子サービスを交えたアットホームな歌のショー”。当日の写真を確認すると、この約2ヵ月後に発売されるシングル『日曜日はストレンジャー』で使用するステージ衣装=「水色の帽子とミニスカート」が既にこの時に披露されていた。

12月31日、『失恋記念日』が日本レコード大賞新人賞を受賞。(最優秀新人賞は、渡辺真知子の『かもめが翔んだ日』。)

1979年 :
1月31日、TBSの連続テレビドラマ、水曜劇場『熱愛一家・LOVE』に出演が決まり撮影初日。石野がスタジオに姿を現すと、照明が消えてハッピー・バースデーの曲が流れ、バースデー・ケーキにロウソクの灯がつき共演者や撮影スタッフから拍手が沸き起こる。生まれて初めての粋な計らいを受け大感激した石野は、この日が18回目の誕生日だった。

2月14日、TBS水曜劇場『熱愛一家・LOVE』放映開始(水曜21時~、全26話)[~8月8日]。石野のドラマデビュー。

8月23日、「第5回日本テレビ音楽祭」(日本武道館、司会:高島忠夫)開催。デビュー2年目の歌手の中で最も活躍した歌手に与えられる「金の鳩賞」を受賞する。デビュー2年目の活躍は新人よりも難しいので新人賞以上の表彰を、ということで「金の鳩賞」(鳩は日本テレビのシンボル)が設けられていた。石野は前年の新人賞に続いての受賞。

12月31日、年末恒例のNHK紅白歌合戦に『ジュリーがライバル』で初出場。石野は紅組のトップバッターを任され、この年の紅白歌合戦としての第1曲目を歌った。

石野真子 ⇒ Ranking
石野真子 ⇒ Treasure
石野真子 ⇒ Gravure
石野真子 ⇒ Treasure
石野真子 ⇒ Ranking
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石野真子 ⇒ Treasure
石野真子 ⇒ Ranking
石野真子 ⇒ Treasure

1980年:
1月1日、シングル8作目『春ラ!ラ!ラ!』発売。この曲は自己最大のヒットとなる。

音楽番組「ザ・ベストテン」(TBS)では、『春ラ!ラ!ラ!』と次の作品『ハートで勝負』の2曲がランクインされた。出演の際に司会の久米宏と黒柳徹子らに対して、手製のクッキーを焼いたり、菓子店で菓子折りを持参するという気配りさを見せる一面があった。
同番組では初登場の時アルバムに直筆のサインを書くのが伝統となっているが、石野はその1枚のアルバムに何人も書くと勘違いして、片隅の方にほんの小さくサインしてしまう。それでも黒柳徹子からは「あなたのその謙虚さが良い!」と誉められていた(その後石野は2回目の出演時に、改めてアルバムに大きくサインしている)。

3月3日、堀越高等学校を卒業。多忙のため、単位不足で1留で卒業した。
同期卒業生には、渋谷哲平、岩崎良美、そしてレコードデビュー直前の松田聖子がいた[2]。

3月10日 高校卒業の喜びも束の間、芦屋市の実家が失火で全焼する。

4月13日、NHK『レッツゴーヤング』(毎週日曜18時~)の新司会を太川陽介と共に務める。[~1981年3月7日]

8月28日、日本テレビ系列『日本テレビ音楽祭』のトップ・アイドル賞を受賞。昨年まで女性部門は山口百恵が連続受賞していた。

8月30日~31日、NTV系の第3回24時間テレビ 「愛は地球を救う」でメインパーソナリティーを務める。

12月31日、前年に続いてNHK紅白歌合戦に2度目の出場を果たし『ハートで勝負』を披露。

1981年:
4月12日、NTVの『スター誕生!』の新司会を坂本九と共に務める。

8月30日、「Bye-Bye MAKO グッドラック・コンサート」最終日(渋谷公会堂)。NTV「日曜スペシャル・いよいよ引退!石野真子ラストコンサート」(15:45~17:10)でその様子がテレビ生中継される。
歌手が引退するラスト・コンサートをテレビ局が生中継するのは非常に珍しい事で、2008年迄で山口百恵と石野の2例のみ。

8月31日、フジテレビ系列の音楽番組『夜のヒットスタジオ』の放送。石野の結婚を祝い“さよなら引退”セレモニーがあった。
武田鉄矢が『贈る言葉』を歌い、森光子や当日の番組出演者一同が合唱して石野の引退を見送った。
9月6日、NTVの『スター誕生!』最後の司会を務める回の放送日。番組サイドが石野の歌手引退に配慮して、“石野真子ヒット・メドレー”のコーナーを番組内に組んでいる。『わたしの首領』、『プリティー・プリティー』、『彩りの季節』の3作をメドレーで歌い、最後に『バーニング・ラブ』を披露した。

石野真子10 ⇒ Ranking

1981年8月、フォーク歌手の長渕剛と結婚。芸能界を引退する。
石野と長渕剛の交際は、ニッポン放送『オールナイトニッポン』のパーソナリティを務めていた長渕の希望で構成作家の秋元康が石野のゲスト出演をセッティングして、二人が番組内で意気投合したことから始まった。
石野と長渕剛の結婚式はハワイの教会で行われる。結婚式の仲人を務めたのは長渕の師匠である吉田拓郎と浅田美代子夫妻(当時)。
しかし、結婚した二人は、様々な見解の相違を表面化させる。そして長渕のDV(家庭内暴力)が決定的理由で、わずか2年も経たない内に結婚生活にピリオドが打たれる。
#長渕剛とタイマン張るのは、志穂美悦子ぐらいにしか出来ないって。

1983年:
5月、長渕剛と離婚、すぐに芸能活動を再開。復帰作品は、石井ふく子プロデュースの東芝日曜劇場「ねえちゃんの夏」(共演:堤大二郎、山岡久乃)

9月25日 『スター誕生!』の最終回に他の卒業生らと一緒に出演。

11月14日、フジテレビ系列「笑っていいとも!」のテレホンショッキングのコーナーに鶴見辰吾からの紹介で出演。仕事の宣伝としては、初めての舞台芝居となる「おしん」のポスターを持参した。お友達紹介では、1980年にテレビドラマで共演した林隆三へ石野から直接自宅へ電話をかけてバトンタッチした。

1985年:
歌手活動を本格的に再開。10月30日、フジテレビ系列の音楽番組『夜のヒットスタジオDELUX』放送。4年ぶり出演で、シングル『めぐり逢い』を披露。

1986年:
1月5日、NHKの第24作大河ドラマ『いのち』が放送開始(1月5日~12月14日)。高原佐智(サチ)役を演じて好評を得る。
後年、中南米の国キューバでも『いのち』がテレビ放映されると視聴率が80%にもなり、「イシノマコ」は同国で有名人になっている。キューバでのテレビ放送から10年経って石野が同国を訪れた際に、国営テレビ局が取材に訪れてニュース番組にした。

石野真子7 ⇒ Ranking

1990年代
1990年、舞台共演で知り合った当時俳優の広岡瞬と再婚するが1996年に離婚をする。
90年代の女優時代には、刑事ドラマに出演する際に犯人役で登場することが多かった。
#配役で犯人分かっちまうだろう。

クレジット表示に「石野眞子」の名義を使用していた時期もあった。

2003年以降、歌手活動を本格的に再始動。

2004年テレビ朝日系列の子供番組「特捜戦隊デカレンジャー」の地球署のスーパーエンジニア・白鳥スワン役でレギュラー出演。なんと「デカスワン」にも変身。(変身するには、4年に一回ぐらいらしい。)
サウンドトラックに「MOTHER UNIVERSE」という歌を、歌:白鳥スワンとして歌っている。
白鳥スワン デカスワン

2008年3月25日、デビュー30周年記念コンサート「昨日・今日・明日」を開催。
遠方各地からの40歳台のスーツ姿の親父世代も多数集結。特攻服に緑色の鉢巻き姿”のかつての親衛隊も復活していた。実際に石野の親衛隊をしていた俳優の嶋大輔も観客席に姿を現していた。
「応援していただいて嬉しい。(30年間は)本当にあっという間のような気もしますが…、あの日に今日の日が来るなんて想像もしていなかった」

2008年3月26日、前日の記念コンサートに続き、石野のデビュー30周年記念CD BOX『Mako Pack -Premium-』が発売。CD7枚+DVD2枚組の完全限定生産盤で、製作・発売元はビクターエンタテインメント(税込価格19,800円)。このCD BOXのジャケット写真は、1980年発売のシングル8作目『春ラ!ラ!ラ!』のジャケット撮影時の別ショットを活用している。商品名称は『石野真子 │ MAKO PACK -Premium- 30th Anniversary Special Edition』と記されている。

2008年12月23日、「東京タワー開業50周年記念のイベント」に出演し、「東京タワー開業50周年 公式応援ソング」を披露する。 翌日、発売。



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