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松田聖子:ザ・アイドル

どんな分野にも、アイドルは居る。 We Love Idol !!
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2009/06/17(水)
松田聖子:アイドル
松田聖子0

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1980年代の代表するアイドル
山口百恵引退の年、1980年に、「サンデーズ」より「裸足の季節」でレコードデビュー。
#時代が変わった。
松田聖子2 ⇒ Ranking

アイドル歌手として
歌手としては1980年の「風は秋色」から1988年の「旅立ちはフリージア」まで24曲連続でオリコンシングルチャート1位を獲得。
楽曲の制作に錚々たるメンバーが揃っていたのも確かだが、「キャンディ・ボイス」といわれる松田聖子ならではの歌声と表現力が多くの人を魅了してきた。
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アイドル時代の人気は圧倒的であり、様々な伝説を残した。流行語にもなった「聖子ちゃんカット」と「ぶりっ子」が挙げられる。
「聖子ちゃんカット」とはその名の通り、彼女の髪型を真似た髪型。一般女性から、アイドル歌手まで真似た。
「ぶりっ子」とは、当時の人気漫才コンビの春やすこ・けいこや山田邦子が、聖子が意識的に自分を可愛く見せようとしていることを揶揄して流行らせた言葉。当時の流行語にとどまることを知らず、従来の「かまとと」を駆逐してしまった

スタイルリーダーとして
「聖子ちゃんカット」とはその名の通り、彼女の髪型を真似た髪型。一般女性から、アイドル歌手まで真似た。
しかし、彼女自身がこのヘアースタイルにしていたのはデビュー年の1980年から1981年までの2年間だった。その後デビューしたアイドル達(小泉今日子、松本伊代、早見優…など)も皆この聖子ちゃんカットをしていたが、聖子自身はそんな「聖子ちゃんカット」大流行真っ只中の1982年の年明けとともに髪をばっさりショートカットにしている。
このショートカットに関しては男性ファンからは賛否様々だったが、当時発売された「赤いスイートピー」の曲のイメージと突如潔くばっさり切られたショートカットで新たな松田聖子像を作りあげ、ここから女性ファンが更に増えた。それまで女性からは「ぶりっ子」と叩かれることが多く、コンサートでは男性客が9割を占めていた聖子だったが、この頃から女性客が7割近くを占めるようになった。
当時聖子がショートカットにしたことでその後追随する後輩アイドルたちもまたこぞってショートカットに変え、今度はアイドルたちにショートカットブームが来ることになる。
「ソバージュ」とよばれる1980年代後期から1990年代まで世間で広く流行り続けたカーリーヘアーも1983年末、まだ日本では全くそのスタイル名も聞き慣れない頃に、聖子が一早くその髪型でTVに登場して披露、紹介しこのヘアスタイルの名前が一気に広まっていくことになる。84年の秋に映画『カリブ・愛のシンフォニー』撮影用にニューヨークで髪型を変えるまでは、所属事務所近くの四谷『ヘアーディメンション』が行きつけの美容室だった。

1985年に俳優の神田正輝と結婚し、一時休業するが間もなく復帰。現在も歌手としての活動を続けている。「ママドル」と言う言葉も、ここから来ている。
ちなみに、神田正輝との間にもうけた長女はSAYAKA(現:神田沙也加)として歌手デビューしており、現在はミュージカルや舞台女優として活動。

音楽家として
1990年代に入ると、作詞、作曲やアルバムのプロデュースにも自ら取り組むようになり、アイドル歌手ではなく、もといシンガーソングライターとしての活動を展開してゆく。
幼少時からピアノを習うなど、もともと音楽家としての基礎的な訓練を受けていたことが、その下地を作っていると思われる。
1990年代のアルバムのうち、6枚はセルフ・プロデュース。
1996年発表の「あなたに逢いたくて〜Missing You〜」は、彼女自身シングルで初めてミリオンセラー(100万枚突破)を記録し、現時点で最大のヒット曲となった。
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また松田聖子は『ディナーショーの女王』として知られ、そのチケットは女性歌手の中では最も値段が高い部類に入る。東京のグランドプリンスホテル新高輪やホテルニューオータニ大阪の48,000円のチケットは即日完売で、名古屋会場では4人セットで220,000円という価格のものも存在するほどである。

松田聖子的生き方
デビューから四半世紀を過ぎ、結婚、出産、二度に渡る離婚を経てもなお、「アイドル」というスタンスを保ち続けている稀有な存在である。
2007年4月9日、「松田聖子的生き方」とそれに共感する同世代の女性たちに焦点を当てたドキュメンタリー番組、NHKスペシャル『松田聖子 女性の時代の物語』が放送された。同番組によれば、現在ファンの中心となっているのは「雇用機会均等法」世代の30代〜40代の女性であり、女性ファンの多さは「松田聖子的生き方」に共感する者が増えたためであるとしている。
一方で、嫌いな女性著名人のアンケートで上位になることも多かった。週刊誌『SPA!』では「1998年度の男が許せない女」1位、週刊文春では「2005年度女が選ぶ嫌いな女」5位となった。
著名人にも熱狂的なファンが多い。(しょこたんLv24にとっては、ネ申)
松田聖子10

エピソード
生家は九州柳川城の城主だった蒲池氏第十六代目蒲池鑑盛(蒲池宗雪)の子孫であり、江戸時代は柳川藩家老格だった旧家(福岡県立柳川古文書館、大下英治 『魔性のシンデレラ。松田聖子ストーリー』(角川書店 1989年7月 ISBN 978-4041571149 ) 、玉鶴姫の意地。詳しくは「蒲池氏#子孫たち」を参照のこと。)。家紋は蒲池久憲以来の「左三巴」で、神田正輝との結婚の披露宴の際に身につけていた緞子織りの白無垢に左三巴紋が記されていたことがテレビでも放送された。

ZARDの坂井泉水と従姉妹と言う噂も立ったが、江戸時代にはすでに分かれているため、親戚とは呼べない。

1997年の神田正輝との離婚の際に蒲池姓に戻らず、婚氏続称を選んでおり、民法上、離婚後も姓は神田である。
理由は、娘神田沙也加の姓が学業の途中から変わることを避け、また娘と同じ苗字にしたいという親心から。
しかし、現実には旧姓の蒲池法子との併用がなされているようである。

高校1年の時の、ミスセブンティーンコンテストの応募理由は、優勝特典が『アメリカ西海岸のディズニーランドにご招待』であり「大好きなミッキーマウスに会える」ということと、全国大会のゲスト審査員が憧れの郷ひろみであったことである。

歌手志望を口にし両親を説得するにあたり、母親は最初は半信半疑ながらも仕方なく同意。しかし公務員で厳格な父親は娘の芸能界入りには猛反対であり、父親の説得に約1年半を要した。そのため松田聖子のデビューはアイドルとしてはやや遅い(女優デビューは高校3年時、歌手デビューは高校卒業後)。説得の過程では、聖子の声に惚れ込んだ、当時CBSソニーの若松宗雄氏の多大なる貢献がある。
オーデションを受けに来た聖子について、「サンミュージック」の当時の社長、相澤秀禎は田舎から上京してきたたばかりという垢抜けず爽やかでもないという印象を持ち、男性スタッフも同様に興味を持たなかったが、音楽プロデューサーとして信用していた女性スタッフが聖子を熱烈に推したことで「サンミュージック」に入り、デビューすることとなったという。前述のCBSソニーの若松宗雄氏は、両親の反対を押し切ってまでもデビューさせるということで、面倒見のいい相沢秀禎氏のサンミュージックに預けたかったという。

デビュー曲「裸足の季節」は資生堂の若年層向け洗顔料「エクボ」のCMソングとして起用されたが、聖子は頬にエクボができないため、CMの映像に出演したのは別のタレント(山田由紀子)だった(相澤社長は松田聖子は、もっぱら歌だけでやっていこうと考えていたためCM出演させなかったと語っている)。

デビュー後の人気沸騰に伴う殺人的スケジュールの影響か、喉を痛めたと見る向きも多い。デビュー直後の数曲は声を張りパワフルに歌い上げているが、1981年あたりからややかすれた声質に変わり、可憐さを強調するようなしっとりとした歌唱になっている。

代表作の一つ「SWEET MEMORIES」であるが、シングル発売当時は、「ガラスの林檎」のB面で、サントリーのCM曲であった。しかもCM使用部分は英語詞であったし、当初『歌・松田聖子』のテロップ無しだったので「誰が歌ってるのか?」という問い合わせが相次いだ。
そして発売から約2ヵ月後にフジテレビ系『夜のヒットスタジオ』でテレビ番組では初めてこの曲をフルコーラスで披露したところ、この曲にもスポットライトが当たるようになり、後に映画の主題歌にも。
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1983年から1984年にかけて、ソニーが発売したパソコンの、イメージキャラクターだった。

「ママドル」
松田聖子に使う場合には、「ママである、アイドル」
他は、「かつてアイドルだった、ママが復活してきた。」

2006年5月19日放送の『ぐるぐるナインティナイン』の『ゴチになります!7』にVIPチャレンジャーとして登場し、レギュラー陣を抑えて第1位を獲得。しかもニアピン賞付きで5万円を獲得する快挙を達成。
#ゴチになります:値段のわからない高級レストランの料理を注文。(頼んだものは、食べられます。)設定金額があり、注文した合計金額が設定金額に近いほうから1位となる。ピタリ賞は、100万円。ニアピン賞(500円差)だと、1円と5万円の祝儀袋のどちらかを選ぶ。びりは、全員の飲食費+お土産代を、自腹現金払い。(手持ちがないと、出演者、マネージャー等から、借金してでも、現金自腹。)

1990年代後半は全米デビュー以外にもハリウッドデビューも考えており積極的にオーディションを受け、幾つか端役も得ている。1999年に公開されたキルスティン・ダンスト主演の『わたしが美しくなった100の秘密』という青春コメディーの怪作にて、ストーリーに無関係の冒頭のアジア人家族の娘役として登場している。

デビュー30周年を来年に控えた歌手松田聖子(47)が、ソニー・ミュージックエンタテインメントからユニバーサルミュージックに移籍することが6月13日、分かった。聖子の移籍は今回が3回目。秋にも移籍第1弾のシングルとアルバムを発売する予定で、関係者は「日本でのヒットはもちろん、海外を視野に入れた活動を展開する」としている。ユニバーサルはU2、マライア・キャリー、ボン・ジョヴィら海外の大物アーティストが所属し、世界のネットワークも広い。同社内では早くも聖子の作品を欧米各国で発売する計画が浮上している。
デビューからソニーに所属した聖子は10周年の90年、全米でアルバム「Seiko」を発売。さらに米で絶大な人気を誇るニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックのドニー・ワールドバーグとデュエット曲を発売。ビルボード54位と健闘したものの、その後の新曲は奮わず、海外での活動から撤退した。
96年、ソニーからマーキュリー・ミュージックエンタテインメント(現ユニバーサル)に移籍し、初のミリオンヒット「あなたに逢いたくて~Missing You~」に恵まれた。02年に再びソニーに戻っても全国ツアーの動員力は陰りを見せず、ママドルの第一人者として節目の30周年目前。2度の離婚や外国人男性とのスキャンダルなどプライベートの挫折をパワーにしたかのように歌い続けてきた。
そんな中で、失敗したままになっていた夢を実現させるべく、環境を変えることを決意。ソニーの慰留を断り再びユニバーサルへ拠点を移す。
 聖子はこの日深夜、公式ホームページで移籍を発表し「これからもいい音楽をファンの皆さまにお届けできますよう一生懸命頑張っていきたいと思います」とコメント。14日にさいたまスーパーアリーナから全国ツアーをスタートする。

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*略歴
1962年
3月10日、福岡県久留米市荒木町に、柳川市出身で公務員(厚生省の事務官)の父親と、八女市の農家出身の母親の長女として生まれる。8歳年上の兄がいる。実兄はかつてラリードライバーとして有名であった。

1977年
4月8日、カトリック系の久留米信愛女学院高等学校に入学。

1978年
高校1年の時、「CBSソニー」主催の『ミス・セブンティーンコンテスト』九州地区大会に桜田淳子の「気まぐれヴィーナス」を吹き込んだテープを送り合格し、九州地区大会で優勝。
全国大会に進もうとした際に両親に反対され辞退。
九州地区で優勝した聖子の歌声を聴いて「この子は絶対に売れる」と確信したCBSソニー制作部・若松宗雄にスカウトされる。

1979年
高校3年の時に「サンミュージックプロダクション」に所属。
歌手デビューのため上京し、堀越高等学校に転校。
日本テレビ系ドラマ『おだいじに』に「松田聖子」役で出演。この時の役名が親しみやすいとしてその後の芸名となる(本名:蒲池法子(かまちのりこ))。


1980年
1月からニッポン放送『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』にDJとしてレギュラー出演。
3月 堀越高等学校卒業。NHK「レッツゴーヤング」にサンデーズのメンバーとしてレギュラー出演。
4月1日、「裸足の季節」で歌手デビュー。デビュー当時のキャッチフレーズは、
 「抱きしめたい! ミス・ソニー」。
女性アイドルとして、多数の新人賞を獲得。
「聖子ちゃんカット」と呼ばれる独特のヘアスタイルが全国の女の子の間で大流行した。
「プロマイド」の年間売上でトップ。
4月28日、「裸足の季節」で、フジテレビ「夜のヒットスタジオ」に初登場。
新人にとりこの番組に出演することは「歌手としての第一のステータス」と見なされていたが、このデビュー曲が提供スポンサー・資生堂のCMソングであったこと、所属事務所が当時番組常連歌手(桜田淳子、都はるみら)を多く擁していたサン・ミュージックであったこと、また歌手として将来性の高さ(初登場時、「ポスト百恵」という位置づけで紹介された)を総合勘案して、デビューから28日目という早さでの初登場となった。ちなみに同番組への初登場例としては、番組と強いパイプを持っていたバーニングプロダクションの石野真子がデビューからたった2日目で登場した例(1978年3月27日放送)がある。
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7月3日、「裸足の季節」で、TBS『ザ・ベストテン』の「スポットライト」コーナーに初登場(11位)。
8月14日、「青い珊瑚礁」で、TBS「ザ・ベストテン」に初ランクイン(8位)。
9月18日、「青い珊瑚礁」で、TBS「ザ・ベストテン」の第一位を初めて獲得。

1981年
2月11日、「徹子の部屋」にゲスト初登場。
8月13日、「白いパラソル」が、TBS「ザ・ベストテン」で番組史上初となる「初登場第一位」を獲得(9072点)。
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1983年
11月17日、「SWEET MEMORIES」(9位、6796点)と「瞳はダイアモンド」(2位、8199点)が、TBS「ザ・ベストテン」で番組史上初となる「二曲同時初登場」を記録。

1984年
父親が公務員を定年退職したことを機に両親を九州から呼び、以降、両親と共に暮らす。神田正輝と結婚するまでは東京都目黒区東が丘の一軒家で、この家の門は、代表作のひとつである「青い珊瑚礁」の手出し『あ〜私の恋は〜』の五線譜で飾られていた。
『ドレミファドン』のアンケートで、若い男性にとっては「結婚したい女性」のNo.1となる。

1985年
1月、交際を公にしていた歌手・郷ひろみと破局。その5ヶ月後の6月24日、映画『カリブ・愛のシンフォニー』(メキシコロケ)で共演した神田正輝と東京都目黒区サレジオ教会で結婚。
二人の結婚は、世紀の結婚をもじって「聖輝の結婚」と呼ばれた。結婚式・披露宴の独占放送権を獲得したテレビ朝日は、約10時間にわたりこの模様を放送。ゴールデンタイムの平均視聴率は34.9%(ビデオリサーチ・関東地区)を記録した。

1986年
10月1日、後にSAYAKAとして歌手デビューする長女・沙也加を東京・飯田橋の東京逓信病院で出産。結婚・出産を経てもアイドル人気は衰えず、“ママになったアイドル”という意味の「ママドル」と呼ばれる。
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1988年
2月14日、東京都目黒区の自由が丘に現在も営業中のブティック「フローレス・セイコ」をオープン。「フローレス (Flawless) 」とは "(宝石が) 傷のない、完璧な" という意味で、ダイヤモンドの最高級を表す。

1989年
サンミュージックから独立し、個人オフィスの「ファンティック」を設立。

1990年
1985年頃から明らかにしていた米国進出のため、全米デビューアルバム『Seiko』を発売。米国での歌手活動のため、しばらくニューヨークに住む。元恋人を名乗るアメリカ人による暴露本が出版され、便乗本や報道が相次ぐこととなる。スキャンダル報道を通じて、「永遠の少女」とは異なる「大人の女」のイメージも定着していく。

1996年
再び全米進出を目指すため、デビュー以来所属したソニーレコードを離れ、「ユニバーサルミュージック」に移籍する。
5月には米誌「BIKINI」でセミ・ヌードを披露。
日本での移籍第1弾シングル「あなたに逢いたくて〜Missing You〜」が8年ぶりのオリコンシングルチャート1位、売り上げ110万枚とミリオンセラーを突破。自身最大のヒットとなり、この頃が結婚後のピークであった。

1997年
1月に神田正輝と離婚。離婚のニュースは、芸能報道を越えて各局とも一般ニュース枠でも報じ、号外が出された。
12月、父親が死去(葬儀は、菩提寺である柳川市の良清寺で行われた)。

1998年
5月に6歳年下の歯科医と交際2か月で結婚。会った瞬間「ビビビッと来た」というコメントが流行語になる。

2000年
9月にかつての恋人で劇的な別れをした郷ひろみとのデュエット曲「True Love Story」の話があり受諾、発表し世間の度肝を抜く。12月に歯科医と離婚。

2002年
ソニー・ミュージックエンタテインメントに復帰。
大阪城ホールにおいて年末のカウントダウン・ライブを行う。BS中継もされた。

2003年
大阪城ホールにおいて年末のカウントダウン・ライブを行う。BS中継もされた。

2004年
約3年ぶりのオリジナルアルバム『Sunshine』が、7月21日付のオリコンアルバムチャートで初登場6位を獲得。アルバムトップテン入りは通算39作目となり、女性アーティストでは松任谷由実に並ぶ歴代1位に輝いた(その後松任谷由実が記録を更新したため現在は歴代2位)。
10年ぶりに出演(障害児童の母親役)したテレビ・ドラマ『たったひとつのたからもの』(日本テレビ)が関東地区で平均30.1%、関西地区で平均23.6%(ビデオリサーチ調べ)という高視聴率となる。

2005年
6月5日のさいたまスーパーアリーナを初日に、歌手活動25周年にあたる全国ツァー『fairy』を開始。台湾のファンからの強い要請に応えて、8月20日、最終公演を台湾の新荘市で行う。5000人の観客から熱烈に歓迎され、中国語でも歌った。

2006年
7月31日付オリコン・アルバムチャートで10万円の74枚組CDボックス『Seiko Matsuda』を96位にランクインさせた。ちなみにこのボックス・セットは週間売り上げ金額で2億1500万円を記録し、2位の『Beautiful Song -ココロ デ キク ウタ-』(9300万円)を2倍以上引き離していた。また、これまで、アルバムでチャートイン(トップ300)した最高額作品は、1989年8月の美空ひばりの6万円の35枚組『今日の我に明日は勝つ』(9位)だったが、松田聖子はこの記録を16年11ヶ月ぶりに更新したのである。その後、当初の発売予定の1万セットを完売し、売り上げだけで約10億円となる。

2007年
松田聖子を取り上げたドキュメンタリー『松田聖子〜女性の時代の物語』(NHK総合)が放映される。視聴率は9.3%(ただし同放送の平均視聴率は5〜6%前後とされる:ビデオリサーチ調べ)だった。3月、歌手活動について古巣の「サンミュージック」と業務提携契約を締結。
11月20日、沖縄で24年ぶりの公演(ディナーショー)。

2009年
6月ユニバーサルミュージックに再移籍することを発表。


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2009/06/17(水) | ありあんす

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