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朝青龍:離婚してた

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2009/07/06(月)
朝青龍
朝青龍0

朝青龍明徳(あさしょうりゅう あきのり、1980年9月27日 - )。モンゴル国出身で第68代横綱。
本名 Долгорсүрэнгийн Дагвадорж;(Dolgorsürengiin Dagvadorj、ドルゴルスレン・ダグワドルジ)。

NEWS:離婚詳細

経歴

15歳でモンゴル相撲を始め、ナーダムの相撲少年の部で優勝した。

1997年に日本の明徳義塾高校に相撲留学し、2年後に若松親方(当時、現高砂親方)によるスカウトにより、高校を中途退学して角界に入門した。

2001年1月場所に新入幕。
2001年7月にモンゴル出身の力士として初めて大関に昇進
2001年11月場所、2002年1月場所に連続優勝して横綱に昇進

ただし、敗れたて花道を引き上げる際に「畜生!」と大きな声で叫んだり、支度部屋で「怪我をしている左足を狙えばよかった」など、当時からその品格が問題視されていた。

2003年結婚する。長女が誕生する。
2003年5月場所、モンゴルの先輩旭鷲山との対戦で敗れた際土俵上で審判に対して物言いを要求、肩がぶつかった旭鷲山をにらみつけ、さがりを振り回した。
2003年7月場所の対戦では髷を掴み反則負けとなり、取組後の風呂場で口論となった後に旭鷲山の車のサイドミラーを破壊。この場所は頸部挫傷により途中休場した。

2004年1月場所・3月場所で、2場所連続全勝優勝(30連勝)を果たした。
5月場所は6日目に平幕の北勝力に敗れて連勝が35でとまる。千秋楽にモンゴルの後輩、白鵬が北勝力を破って「援護射撃」を果たすと、自身も結びの一番に勝って迎えた優勝決定戦で北勝力を破り3場所連続優勝を達成。部屋、一門の枠を超えて白鵬と喜びを分かち合った。
7月場所も13勝2敗で優勝。1996年の貴乃花以来となる、4場所連続優勝。

2004年11月場所から7場所連続優勝(従来は大鵬の6場所連続)、2005年には年間6場所完全優勝(従来は1966年の大鵬、1978年の北の湖、1986年の千代の富士、2004年の自身の5場所)、年間成績84勝6敗(従来は1978年の北の湖の82勝8敗)と、様々な記録を更新した。

2006年1月場所、8連覇を目指したが、11勝4敗に終わる。翌3月場所は優勝したものの白鵬に決定戦進出を許し、5月場所では2日目の若の里戦に敗れた際右肘を痛め3日目から途中休場。
7月場所に復帰すると翌2007年1月場所まで4場所連続優勝し、史上5人目、外国人力士では初となる20回目の優勝を果たした。
朝青龍1 ⇒ Ranking


2007年1月22日、週刊現代に自身の八百長疑惑が掲載された。後に朝青龍をはじめとする現役力士と協会が起こした訴訟で、東京地方裁判所は被告である講談社側に、朝青龍へ1100万円を支払うことを命じた。

3月場所は初日から2連敗。優勝決定戦に持ち込んだものの、決定戦では逆に白鵬に立合いの変化で敗れた。
5月場所は9連勝の後10日目に安美錦に敗れると調子を崩し、12日目からは4連敗で10勝5敗。横綱昇進後初めて2場所連続で優勝を逃す。また白鵬が連覇したので横綱昇進。(久方ぶりの二人横綱)

7月場所では初日に再び安美錦に敗れ、前場所から続けて5連敗を喫した。2日目からは14連勝し、3場所ぶりの優勝、新横綱白鵬に対し先輩横綱としての意地を見せ復活。

7月25日、「左肘内側側副靭帯損傷、左尺骨神経障害、急性腰痛症、第5腰椎疲労骨折で約6週間の休養、加療を要する」とした診断書を協会に提出、夏巡業(8月3日から20日まで)の不参加を届け出た。
当人がモンゴルで中田英寿らとサッカーをしている映像が同日報じられ、仮病疑惑が噴出。巡業部は帰国後の巡業参加を拒否する方針を固め、8月1日には日本相撲協会から2場所出場停止、減俸30%4ヶ月、九州場所千秋楽までの謹慎の処分を受けた。

理事長の北の湖親方はこの際「あいつは意外と気が小さいから」と述べて、角界から朝青龍が去ってしまう可能性を危惧したとも言われている。また同時に師匠の高砂親方も減俸30%4ヶ月の処分を受けた。
この処分に対し日本並びにモンゴルのマスメディアが大々的に報道(「横綱の品格問題」)。
在日モンゴル大使館は7月31日、「サッカーはモンゴル国主催のチャリティー大会のイベントであり、日本外務省を通じ半ば強引に参加を要請したもので、大変なこととなり迷惑をお掛けした」と日本相撲協会に対し謝罪した。
7月27日には、日本経済新聞等で「東京国税局の税務調査を受け、テレビ番組やCMの出演料などの一部を申告していなかったなどとして、2005年までの3年間で約1億円の申告漏れを指摘されていた」ことが報道された。追徴税額は過少申告加算税を含め約3000万円であった。

8月6日には、心療内科医・本田昌毅の往診により「神経衰弱および抑うつ状態」との診断を受けていた[5]ものの、後に協会医務委員会が紹介した精神科医により解離性障害と診断されたと発表。協会は謹慎処分を一部訂正しモンゴルへの帰国を承認した。これを受け8月29日に治療をするとしてモンゴルへ帰国した。

11月場所番付では新横綱であった2003年3月場所以来となる西横綱となった。

11月場所千秋楽(11月25日)を終えたため、当初の決定通り謹慎を解除され、11月30日にはモンゴルから93日ぶりに再来日した。同日夕方に謝罪会見を開き、朝青龍本人が一連の騒動について謝罪し、会見後は臨時横綱審議委員会(横審)で謝罪と経緯説明をおこなった。

12月2日から大分県豊後大野市で始まる冬巡業に参加して、7月場所千秋楽以来133日ぶりに土俵に復帰した。初日の横綱白鵬戦では寄り切りで勝利した。

12月21日朝、横綱審議委員会で脚本家の内舘牧子が事前通告なしに稽古を視察するため高砂部屋を訪れたが、朝青龍の稽古が休みで肩すかしを食う。さらに内舘が朝青龍に「癌を克服し現役に復帰したプロレスラーの小橋建太を見ならいなさい」と発言した。

2008年1月13日、1月場所で前年7月場所以来の土俵復帰。約5年ぶりの西横綱となったためか、初日の土俵入りの際、西横綱は本来は左足から土俵中央へ歩み寄るところを、長年東横綱として君臨していた癖で、右足を先に出すというミスも見られるなど、当初は2場所ぶりの復活で「相撲勘」を取り戻せるかどうかが話題となった。初日は琴奨菊戦で快勝するも、2日目、早くも土がついた。
14日目まで何とか1敗を守りきり、東横綱の白鵬と並び、2002年9月場所の武蔵丸 - 貴乃花戦以来、約5年半ぶりの横綱同士による千秋楽相星決戦となったが、過去に類をみない白熱した大一番の末、白鵬に豪快な上手投げで破れた。

2008年3月場所では11日目までは全勝。13日目では対朝青龍戦28連敗中だった大関琴光喜が、連敗記録歴代2位という屈辱の記録に終止符を打った。
千秋楽では横綱白鵬に引き落としで勝ったが、この直後に負けて土俵上で四つんばいになっている白鵬を横から駄目押し、その行為に対し白鵬が立ち上がりながら朝青龍に右肩をぶつけ、両者がにらみ合う事件が起こった。この事件で北の湖理事長が朝青龍と白鵬を厳重注意した。

2008年7月場所では、場所前の状況で不安視が、現実になった。初日に豊ノ島に上手投げで敗れた後2日目から3連勝したが、5日目に栃乃洋に押し倒しで敗れた際に左肘を痛め6日目から途中休場。朝青龍の休場は2007年11月場所以来、途中休場は2006年5月場所以来のこととなった。

2008年9月場所では中日までに、雅山、安美錦、豊ノ島に敗北した。引退説まで囁かれたが、大鵬と九重理事(元千代の富士)ははいずれも「(まだやれる事を)考えるべきだ」と述べた。9日目までの5勝4敗という成績を受け、この日武蔵川理事長は休場を勧告し、10日目から休場することとなった。

2009年1月場所は、場所前の稽古総見では調子が良くなく、進退問題も取り沙汰される状況で臨んだが、初日から14連勝と次第に調子を上げ、千秋楽では本割の一番は立ち合いを失敗して白鵬に敗れたものの、優勝決定戦では本割と一転して厳しい攻めで白鵬を寄り切りで下し、貴乃花光司を抜き歴代単独4位となる通算23回目の優勝を果たした。
朝青龍2 ⇒ Ranking

2009年3月場所は、初日から9連勝と全く隙のない相撲を見せていたが、10日目に過去14勝2敗と圧倒していた日馬富士に敗れてからは自分の相撲が取れず、結局11勝4敗に終わった。

2009年5月場所直前、朝青龍は申請していた日本国の永住権を取得したことを明らかにしたが、今のところ親方として相撲協会に残る際に必要となる帰化は行っていない。
#モンゴルの正解に打って出る腹積もりのようですから。


2009年7月6日、、「わたくし、朝青龍明徳は今年に入り離婚したことを発表させていただきます」
とすでに離婚していた事実を認めたうえで
「2人で何度も話し合った結論です」と説明している。

朝青龍は、小・中学時代の同級生だったタミルさんと平成14年12月に(できちゃった)結婚。一男一女に恵まれたが、タミルさんは19年の春場所後に子供を連れて帰国。米国の大学で勉強中と伝えられていたが、最近になってモンゴルでCMモデルとしてデビューしたと一部スポーツ紙に報じられていた。
#日本の角界のしきたりになじめなかったみたい。

モンゴルでは一般的に、離婚に関して冷却期間を兼ねた協議期間を2年間設けるとされており、朝青龍の離婚はほぼ合致する形となった。(2年前から別居している。)

さらに、今年の春、夏場所と優勝を逃しており、今回の離婚発表を
「名古屋場所に集中したいと思い、このタイミングでの発表とさせていただきました」
と復活優勝を果たすための決断と釈明している。
また「関係各位及びファンの皆様には突然のことでご心配をおかけするとは思いますが、今後とも変わらぬご声援のほどよろしくお願いします」とのコメントも記している。


横綱朝青龍


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タグ : 朝青龍 横綱 モンゴル 横綱の品格 離婚

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