2009/08/20(木)
加納由理:女子陸上競技選手(マラソン)

2005年2月の横浜国際女子駅伝では、日本代表チームで最長区間の2区(10.0Km)を走り、区間賞(区間新)で優勝に貢献した。
2006年12月の全日本実業団女子駅伝でも、最長区間の5区(11.6Km)を走り、資生堂を初優勝に導いている。
⇒ Ranking
2007年1月には、自身初のフルマラソンとなる大阪国際女子マラソンに出場し、3位。
2007年9月開催の2007年世界陸上大阪大会女子マラソン代表の候補者であったが、補欠代表となった。
2007年9月の北海道マラソンでは、レース中盤辺りから独走となり、フルマラソン初優勝を果たした。気温30度を超す猛暑の影響も有ってか、ゴール後は軽い熱中症により優勝インタビューが出来ず、医務室へ運ばれた。
2008年1月の大阪国際女子マラソンに出場したが、17Km過ぎで踵の故障悪化(その後足底筋膜炎と判明)により途中棄権。
2008年3月、大阪から42日後の名古屋国際女子マラソンに出場した。
北京オリンピック代表入りをかけたこのレースで、終盤まで先頭争いを演じる健闘を見せたが、あと一歩及ばず3位。
2008年6月の札幌国際ハーフマラソンではハーフマラソンの自己新記録を達成、優勝を果たした。
⇒ Ranking
2008年11月、今回限りで終了となる東京国際女子マラソンに出場するも、終盤の38Km手前で尾崎好美にかわされる。その後先頭を走っていた渋井陽子を追い抜き自己ベストを16秒更新したが、2位。
2009年2月に特別招待選手として泉州国際市民マラソンへ出場したが、30Km付近で途中棄権。
1週間後、今大会最後となった2009年2月の横浜国際女子駅伝では日本代表で2区を走り、区間賞獲得。結果日本チームは優勝を果たし、有終の美を飾った。
2009年3月に日本陸連の理事会において、2009年8月に開催予定の2009年世界陸上ベルリン大会女子マラソン代表に初めて選出された。
2009年4月のロンドンマラソンに出走するも、日本女子内では2番目、女子全体で11位に終わった。
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2005年2月の横浜国際女子駅伝では、日本代表チームで最長区間の2区(10.0Km)を走り、区間賞(区間新)で優勝に貢献した。
2006年12月の全日本実業団女子駅伝でも、最長区間の5区(11.6Km)を走り、資生堂を初優勝に導いている。
⇒ Ranking2007年1月には、自身初のフルマラソンとなる大阪国際女子マラソンに出場し、3位。
2007年9月開催の2007年世界陸上大阪大会女子マラソン代表の候補者であったが、補欠代表となった。
2007年9月の北海道マラソンでは、レース中盤辺りから独走となり、フルマラソン初優勝を果たした。気温30度を超す猛暑の影響も有ってか、ゴール後は軽い熱中症により優勝インタビューが出来ず、医務室へ運ばれた。
2008年1月の大阪国際女子マラソンに出場したが、17Km過ぎで踵の故障悪化(その後足底筋膜炎と判明)により途中棄権。
2008年3月、大阪から42日後の名古屋国際女子マラソンに出場した。
北京オリンピック代表入りをかけたこのレースで、終盤まで先頭争いを演じる健闘を見せたが、あと一歩及ばず3位。
2008年6月の札幌国際ハーフマラソンではハーフマラソンの自己新記録を達成、優勝を果たした。
⇒ Ranking2008年11月、今回限りで終了となる東京国際女子マラソンに出場するも、終盤の38Km手前で尾崎好美にかわされる。その後先頭を走っていた渋井陽子を追い抜き自己ベストを16秒更新したが、2位。
2009年2月に特別招待選手として泉州国際市民マラソンへ出場したが、30Km付近で途中棄権。
1週間後、今大会最後となった2009年2月の横浜国際女子駅伝では日本代表で2区を走り、区間賞獲得。結果日本チームは優勝を果たし、有終の美を飾った。
2009年3月に日本陸連の理事会において、2009年8月に開催予定の2009年世界陸上ベルリン大会女子マラソン代表に初めて選出された。
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2009/08/19(水)
寺田明日香:女子陸上選手(100mハードル)

母貴美江さんは100mと200mを専門としていた短距離選手。
故、父雄二さんは400H選手。
小学4年生から陸上競技を始め、全道大会に出場。
高校でハードルを始め、100mハードルでインターハイ3連覇。
高校3年のインターハイでは100mHに加えて100m、4x100mリレーも優勝し、3冠を達成した。
⇒ Ranking
2008年高校卒業後、高校の陸上部と同じ中村監督が指導する北海道ハイテクACに所属。
この年の日本選手権に出場し初優勝するが、B標準に到達しなかったため、北京五輪代表には選ばれなかった。
#あまりにもレベルの低い競技者が参加してくると、予選が多くなるため、選手に負担がかかる。
#そこで、ある目標値以上の記録を持っていないと出場権が得られない。(国際水準以下ということ。)
⇒ Ranking
2009年シーズン開始直前に虫垂炎になり出遅れるが、復帰後は好調を維持。
日本選手権では100mハードルで13.05と大幅に自己ベストを更新し2連覇した。
この記録でB標準記録(13.11)を突破し、世界陸上競技選手権大会ベルリン2009の代表に内定した。
2009年8月18日、寺田明日香が、初出場の世界選手権で貴重な経験を積んだ。
予選は13秒41で落選したが、収穫は少なくない。
日本では先着を許すことがほとんどないため
「自分のレースに集中していたんですけど、走ると(前を行く選手が)見えちゃう。そこがこれからの課題だと感じました」と、世界大会でしか経験できない実感を話していた。
日本代表ベルリン世界大会レプリカモデルasics限定生産 2009/ho プリントTシャツ
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母貴美江さんは100mと200mを専門としていた短距離選手。
故、父雄二さんは400H選手。
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高校3年のインターハイでは100mHに加えて100m、4x100mリレーも優勝し、3冠を達成した。
⇒ Ranking2008年高校卒業後、高校の陸上部と同じ中村監督が指導する北海道ハイテクACに所属。
この年の日本選手権に出場し初優勝するが、B標準に到達しなかったため、北京五輪代表には選ばれなかった。
#あまりにもレベルの低い競技者が参加してくると、予選が多くなるため、選手に負担がかかる。
#そこで、ある目標値以上の記録を持っていないと出場権が得られない。(国際水準以下ということ。)
⇒ Ranking2009年シーズン開始直前に虫垂炎になり出遅れるが、復帰後は好調を維持。
日本選手権では100mハードルで13.05と大幅に自己ベストを更新し2連覇した。
この記録でB標準記録(13.11)を突破し、世界陸上競技選手権大会ベルリン2009の代表に内定した。
2009年8月18日、寺田明日香が、初出場の世界選手権で貴重な経験を積んだ。
予選は13秒41で落選したが、収穫は少なくない。
日本では先着を許すことがほとんどないため
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2009/08/18(火)
久保倉里美(くぼくら さとみ):女子陸上(短距離・ハードル)選手

北海道旭川北高等学校で陸上を始める。
3年では100mハードルで岐阜インターハイに出場。
全国高校選手権には400mハードルと七種競技に出場している。
国体では400mハードルで5位入賞。
福島大学に進学する。
基本的に、400mハードルを専門とする。
しかし、そのオールラウンダーな能力を生かし、400m、100mハードル、400mリレー、1600mリレーでも、活躍。
1600mリレーは4年連続で日本インカレに出場。1年で2位、2年から4年までは3連覇を遂げた。また、本職の400mハードルでは4年の時に学生初の56秒台突入を果たしている。
卒業後は新潟アルビレックスランニングクラブに所属。
400mハードルが専門ではあるが100mから800m、100mハードルまでこなす。
レース展開も先行策、後半勝負どちらでもこなす。
ハードルを両足で同じように踏み切れる技術を持っている。
#普通は、効き足があるので、そう簡単にはできない。
⇒ Ranking
2008年の北京オリンピック代表に選出され、
女子400mハードル、4×400mリレーに出場。
400mハードルでは準決勝に進出した。
⇒ Ranking
2009年8月17日、世界陸上ベルリン大会で、女子400メートル障害予選に出場。久保倉里美は、56秒91で1組5着。各組4着+タイム上位4人が準決勝に進めるため、あと0秒18速ければ、タイムで拾われたはずだった。
「自分より速い人と走る機会は少ない。こういう人と走るだけで経験になる。その中で力を出せなかったのが、今の力」と話した。
国際大会での記録。
2005 東アジア大会 400mH 3位
2006 アジア大会 400mH 2位
2007 静岡国際陸上 400mH 1位 55秒71(日本新)
2007 アジア選手権 400mH 1位
2007 世界選手権 400mH 6位 予選敗退
2008 オリンピック 400mH 7位 準決勝敗退
2009 世界陸上 400mH 5位 予選敗退
2008 国民体育大会 400mH 1位 55秒46(日本新)
福島大学陸上部の「速い走り」が身につく本
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北海道旭川北高等学校で陸上を始める。
3年では100mハードルで岐阜インターハイに出場。
全国高校選手権には400mハードルと七種競技に出場している。
国体では400mハードルで5位入賞。
福島大学に進学する。
基本的に、400mハードルを専門とする。
しかし、そのオールラウンダーな能力を生かし、400m、100mハードル、400mリレー、1600mリレーでも、活躍。
1600mリレーは4年連続で日本インカレに出場。1年で2位、2年から4年までは3連覇を遂げた。また、本職の400mハードルでは4年の時に学生初の56秒台突入を果たしている。
卒業後は新潟アルビレックスランニングクラブに所属。
400mハードルが専門ではあるが100mから800m、100mハードルまでこなす。
レース展開も先行策、後半勝負どちらでもこなす。
ハードルを両足で同じように踏み切れる技術を持っている。
#普通は、効き足があるので、そう簡単にはできない。
⇒ Ranking2008年の北京オリンピック代表に選出され、
女子400mハードル、4×400mリレーに出場。
400mハードルでは準決勝に進出した。
⇒ Ranking2009年8月17日、世界陸上ベルリン大会で、女子400メートル障害予選に出場。久保倉里美は、56秒91で1組5着。各組4着+タイム上位4人が準決勝に進めるため、あと0秒18速ければ、タイムで拾われたはずだった。
「自分より速い人と走る機会は少ない。こういう人と走るだけで経験になる。その中で力を出せなかったのが、今の力」と話した。
国際大会での記録。
2005 東アジア大会 400mH 3位
2006 アジア大会 400mH 2位
2007 静岡国際陸上 400mH 1位 55秒71(日本新)
2007 アジア選手権 400mH 1位
2007 世界選手権 400mH 6位 予選敗退
2008 オリンピック 400mH 7位 準決勝敗退
2009 世界陸上 400mH 5位 予選敗退
2008 国民体育大会 400mH 1位 55秒46(日本新)
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2009/08/18(火)
福島千里:女子陸上短距離走者

幕別町立糠内中学校を経て北海道帯広南商業高等学校を卒業後、2007年北海道ハイテクノロジー専門学校(情報システム科)に進学。同校で学びながら陸上競技部(名称:北海道ハイテクノロジー専門学校アスリートクラブ 略:北海道ハイテクAC)にて籍を置いて中村宏之コーチの元選手活動を続けている。2009年に卒業後はそのまま職員となった。
幼いころはスピードスケートを行っていた経験があり、当時の経験がスタートダッシュ時のバランスや強靭な脚力に影響を与えているという。
糠内中学校時代から注目の逸材と目されていたものの、同い年の高橋萌木子の陰に隠れ思うように活躍出来なかった。
2008年
4月28日、広島広域公園陸上競技場(広島ビッグアーチ)で開催された織田記念陸上女子100mで、二瓶秀子(2001年:11秒36)に並ぶ日本タイ記録をマーク。北京オリンピック参加標準記録Bをクリアし、一躍五輪候補に躍り出た。
6月29日、川崎市の等々力陸上競技場で行われた第92回日本陸上競技選手権大会女子100mで、参加標準記録Aは突破できなかったものの、11秒48のタイムで日本選手権初優勝を飾った。
7月6日、函館市で行われた南部忠平記念陸上競技大会の女子100mでは、日本選手権より悪いタイムであったが優勝。これを受けて日本陸上競技連盟は、オリンピック代表選手第二次発表において、短距離(女子100m)代表に選出した。
陸上女子100mのオリンピック代表は日本では1952年ヘルシンキオリンピックの吉川綾子以来56年ぶりとなる。
8月16日、北京オリンピック女子100mでは11秒74のタイムで1次予選敗退となった。
⇒ Ranking
9月23日、川崎市等々力陸上競技場で行われたスーパー陸上大会女子100mで優勝(11秒70)。尚、福島の優勝は、日本で開催された陸上競技国際大会のトラック短距離種目で日本人選手史上初であった。
2009年
5月3日、静岡国際陸上競技大会の女子200mで23秒14の日本新記録。
6月7日、鳥取県立布勢総合運動公園で行われた布勢リレーカーニバル女子100m予選で11秒28、決勝で11秒24と日本記録を連続更新。同時にベルリン世界陸上の同種目派遣標準記録A(11秒30)を突破。
6月26日、広島広域公園陸上競技場(広島ビッグアーチ)で行われた日本選手権の女子200mで、23秒00の日本記録で初優勝記録は23秒00で、ベルリン世界陸上の同種目派遣標準記録Aのタイムでもあった。
6月28日の100mでは準決勝後に右鼠蹊部の張りを訴え、無念の決勝棄権となった。
8月16日、ベルリンで行われた2009年世界陸上選手権の女子100m1次予選で11秒52で予選2組4着に入り、タイム順で2次予選の進出を決めた。
⇒ Ranking
2次予選の突破はならなかったものの2次予選進出は世界陸上において日本女子100m史上初。1932年のロサンゼルスオリンピックに出場した渡辺すみ子以来77年ぶりの快挙であった。
このレースには爪にドイツの国旗の模様を施したネイル『ベルリンスペシャル』をつけて挑んだ。
陸上競技 2009年 08月号 [雑誌]
# [雑誌]ですので、品切れに注意。
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幕別町立糠内中学校を経て北海道帯広南商業高等学校を卒業後、2007年北海道ハイテクノロジー専門学校(情報システム科)に進学。同校で学びながら陸上競技部(名称:北海道ハイテクノロジー専門学校アスリートクラブ 略:北海道ハイテクAC)にて籍を置いて中村宏之コーチの元選手活動を続けている。2009年に卒業後はそのまま職員となった。
幼いころはスピードスケートを行っていた経験があり、当時の経験がスタートダッシュ時のバランスや強靭な脚力に影響を与えているという。
糠内中学校時代から注目の逸材と目されていたものの、同い年の高橋萌木子の陰に隠れ思うように活躍出来なかった。
2008年
4月28日、広島広域公園陸上競技場(広島ビッグアーチ)で開催された織田記念陸上女子100mで、二瓶秀子(2001年:11秒36)に並ぶ日本タイ記録をマーク。北京オリンピック参加標準記録Bをクリアし、一躍五輪候補に躍り出た。
6月29日、川崎市の等々力陸上競技場で行われた第92回日本陸上競技選手権大会女子100mで、参加標準記録Aは突破できなかったものの、11秒48のタイムで日本選手権初優勝を飾った。
7月6日、函館市で行われた南部忠平記念陸上競技大会の女子100mでは、日本選手権より悪いタイムであったが優勝。これを受けて日本陸上競技連盟は、オリンピック代表選手第二次発表において、短距離(女子100m)代表に選出した。
陸上女子100mのオリンピック代表は日本では1952年ヘルシンキオリンピックの吉川綾子以来56年ぶりとなる。
8月16日、北京オリンピック女子100mでは11秒74のタイムで1次予選敗退となった。
⇒ Ranking9月23日、川崎市等々力陸上競技場で行われたスーパー陸上大会女子100mで優勝(11秒70)。尚、福島の優勝は、日本で開催された陸上競技国際大会のトラック短距離種目で日本人選手史上初であった。
2009年
5月3日、静岡国際陸上競技大会の女子200mで23秒14の日本新記録。
6月7日、鳥取県立布勢総合運動公園で行われた布勢リレーカーニバル女子100m予選で11秒28、決勝で11秒24と日本記録を連続更新。同時にベルリン世界陸上の同種目派遣標準記録A(11秒30)を突破。
6月26日、広島広域公園陸上競技場(広島ビッグアーチ)で行われた日本選手権の女子200mで、23秒00の日本記録で初優勝記録は23秒00で、ベルリン世界陸上の同種目派遣標準記録Aのタイムでもあった。
6月28日の100mでは準決勝後に右鼠蹊部の張りを訴え、無念の決勝棄権となった。
8月16日、ベルリンで行われた2009年世界陸上選手権の女子100m1次予選で11秒52で予選2組4着に入り、タイム順で2次予選の進出を決めた。
⇒ Ranking2次予選の突破はならなかったものの2次予選進出は世界陸上において日本女子100m史上初。1932年のロサンゼルスオリンピックに出場した渡辺すみ子以来77年ぶりの快挙であった。
このレースには爪にドイツの国旗の模様を施したネイル『ベルリンスペシャル』をつけて挑んだ。
# [雑誌]ですので、品切れに注意。
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2009/08/15(土)
渋井陽子:女子陸上長距離選手

1997年に高校卒業後は、三井海上火災保険に入社した。2000年までは、トラック競技・駅伝・長距離走で力を蓄えていった。
2001年1月の第20回記念大阪国際女子マラソンで、いきなり2時間23分11秒の当時初マラソン世界最高記録を達成して初優勝(3分以上更新)、衝撃的なマラソンデビューを果たしている。
2001年8月の、世界陸上選手権エドモントン大会女子マラソンでは4位に入賞し、同部よき理解者でもある土佐礼子の銀メダル獲得と併せて、日本女子のマラソン団体優勝に貢献(世界陸上では国別団体戦も行われている)。
一躍アテネオリンピックの代表有力候補として注目されるようになった。
2002年5月には、アメリカの大会で女子10000mの日本記録を20秒以上更新。日本女子で初めて30分台に突入する30分48秒89の日本新記録を達成した。
2002年10月のシカゴマラソンでは、序盤からポーラ・ラドクリフ、キャサリン・ヌデレバらのハイペースに付いて行き、2時間21分22秒の3位に入り、自己記録を大きく更新した。
2003年3月の第24回名古屋国際女子マラソンに出走予定だったが、足を故障し出場を断念。
2003年8月の世界陸上選手権パリ大会は、10000mで出場したが周回遅れとなり、結局31分42秒01の記録で14位に終わる。
2004年アテネ五輪の、女子マラソン代表選考レースだった第23回大阪国際女子マラソンでは、前半の思わぬ超スローペースに惑わされる。27km地点付近での千葉真子の飛び出しには何とかついたが、坂本直子の30km地点からの猛スパートには全くついていけなかった。
その後は完全にスローダウンとなり後続の選手に次々抜かれ、結局ゴール順位は9位と完敗だった。
2004年6月のアテネ五輪陸上競技選考会だった日本陸上選手権では、長距離トラック代表で五輪選出を目指したものの、女子10000mは9位、女子5000mは12位に終わり、目標だったアテネ五輪出場はならなかった。
2004年9月のベルリンマラソンでは、高橋尚子が持っていた日本記録を5秒更新する、2時間19分41秒(当時世界歴代4位)をマークして優勝(獲得賞金7万ユーロ・約950万円)。
この記録は、2009年8月時点で女子マラソン世界歴代7位である。
2005年3月の第26回名古屋国際女子マラソンでは、レース直前に風邪を引き体調不良による影響で、35kmの手前で優勝争いから脱落。結果7位に終わり、世界陸上ヘルシンキ大会のマラソン代表入りを逃した。
2006年3月の第27回名古屋国際女子マラソンでは、レース序盤から独走するも終盤ペースダウン、ゴールまで残り約1km付近で弘山晴美に逆転され、惜しくも2位となる。
2007年1月に行われた第26回大阪国際女子マラソンには、世界陸上大阪大会女子マラソン代表を目指して出場。序盤から野口みずきの持つ大会新記録を目指し、優勝した原裕美子と共にハイペースで飛ばしたが、中盤で故障が発生して29Km付近で原に突き放される。その後34km過ぎでは、立ち止まって両足を屈伸してしまう場面も有って急失速、結果10位に終わり又も世界陸上出場は断たれた。
2007年11月の北京オリンピックの、女子マラソン国内代表選考レースの一つ、第29回東京国際女子マラソンに出場。現日本記録保持者の野口みずきとの一騎打ちが予想されたが、後半の30km手前で再び失速。その後は尾崎朱美や大南博美らにも抜かれて結局7位と敗北、前回のアテネ五輪に続いて北京五輪も女子マラソン代表を逃した。
2008年4月27日の兵庫リレーカーニバル女子10000mでは2位に入り、五輪参加標準記録Aを突破する31分19秒73の好タイムをマーク。
2008年6月27日の日本陸上選手権女子10000mでは、ゴール直前まで2位の赤羽有紀子と3位の福士加代子らとデッドヒートを展開、残り100mを過ぎて渋井が先頭に立ち、31分15秒07の大会新記録で日本選手権初優勝を果たした。これによって、渋井の北京五輪代表内定となる。
その後6月30日の日本陸連理事会において、長距離トラック種目(10000m)の代表として正式に選出となった。
⇒ Ranking
2008年8月15日、北京オリンピックの女子10000m本番レースが行われたが、序盤からの超高速なペースについていけず、終盤周回遅れとなり17位に終わった(ゴールタイムは31分31秒13)。
⇒ Ranking
2008年11月の第30回東京国際女子マラソンに出場(世界陸上ベルリン大会選考レース)。
レース前半から5Kmラップ16分台のハイペースで独走していたが、後半で17〜19分台にペースダウン。38.4Kmで優勝した尾崎好美に逆転され、その後も加納由理、マーラ・ヤマウチにかわされて4位に留まった。
2009年1月に開催された第28回大阪国際女子マラソンに出場(世界陸上ベルリン大会選考レース)。レース序盤から5Kmラップが17分台前半で進む先頭集団に加わっていたが、30Km付近で渋井自らロングスパートを仕掛ける。それについていったのは今回初マラソンの赤羽有紀子ひとりだったが、31Km過ぎでさらに渋井がスパートすると赤羽もついていけなくなり、渋井の独走状態となる。結果2位の赤羽とは1分58秒の大差をつける圧勝で、2004年9月のベルリン以来4年4か月ぶりのマラソン優勝を飾り、世界陸上ベルリン大会・女子マラソン代表に内定が決定した。
じつは、非常にお茶目でひょうきんな性格の持ち主なのだ。
1982-2007 大阪国際女子マラソン Song by THE ALFEE
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1997年に高校卒業後は、三井海上火災保険に入社した。2000年までは、トラック競技・駅伝・長距離走で力を蓄えていった。
2001年1月の第20回記念大阪国際女子マラソンで、いきなり2時間23分11秒の当時初マラソン世界最高記録を達成して初優勝(3分以上更新)、衝撃的なマラソンデビューを果たしている。
2001年8月の、世界陸上選手権エドモントン大会女子マラソンでは4位に入賞し、同部よき理解者でもある土佐礼子の銀メダル獲得と併せて、日本女子のマラソン団体優勝に貢献(世界陸上では国別団体戦も行われている)。
一躍アテネオリンピックの代表有力候補として注目されるようになった。
2002年5月には、アメリカの大会で女子10000mの日本記録を20秒以上更新。日本女子で初めて30分台に突入する30分48秒89の日本新記録を達成した。
2002年10月のシカゴマラソンでは、序盤からポーラ・ラドクリフ、キャサリン・ヌデレバらのハイペースに付いて行き、2時間21分22秒の3位に入り、自己記録を大きく更新した。
2003年3月の第24回名古屋国際女子マラソンに出走予定だったが、足を故障し出場を断念。
2003年8月の世界陸上選手権パリ大会は、10000mで出場したが周回遅れとなり、結局31分42秒01の記録で14位に終わる。
2004年アテネ五輪の、女子マラソン代表選考レースだった第23回大阪国際女子マラソンでは、前半の思わぬ超スローペースに惑わされる。27km地点付近での千葉真子の飛び出しには何とかついたが、坂本直子の30km地点からの猛スパートには全くついていけなかった。
その後は完全にスローダウンとなり後続の選手に次々抜かれ、結局ゴール順位は9位と完敗だった。
2004年6月のアテネ五輪陸上競技選考会だった日本陸上選手権では、長距離トラック代表で五輪選出を目指したものの、女子10000mは9位、女子5000mは12位に終わり、目標だったアテネ五輪出場はならなかった。
2004年9月のベルリンマラソンでは、高橋尚子が持っていた日本記録を5秒更新する、2時間19分41秒(当時世界歴代4位)をマークして優勝(獲得賞金7万ユーロ・約950万円)。
この記録は、2009年8月時点で女子マラソン世界歴代7位である。
2005年3月の第26回名古屋国際女子マラソンでは、レース直前に風邪を引き体調不良による影響で、35kmの手前で優勝争いから脱落。結果7位に終わり、世界陸上ヘルシンキ大会のマラソン代表入りを逃した。
2006年3月の第27回名古屋国際女子マラソンでは、レース序盤から独走するも終盤ペースダウン、ゴールまで残り約1km付近で弘山晴美に逆転され、惜しくも2位となる。
2007年1月に行われた第26回大阪国際女子マラソンには、世界陸上大阪大会女子マラソン代表を目指して出場。序盤から野口みずきの持つ大会新記録を目指し、優勝した原裕美子と共にハイペースで飛ばしたが、中盤で故障が発生して29Km付近で原に突き放される。その後34km過ぎでは、立ち止まって両足を屈伸してしまう場面も有って急失速、結果10位に終わり又も世界陸上出場は断たれた。
2007年11月の北京オリンピックの、女子マラソン国内代表選考レースの一つ、第29回東京国際女子マラソンに出場。現日本記録保持者の野口みずきとの一騎打ちが予想されたが、後半の30km手前で再び失速。その後は尾崎朱美や大南博美らにも抜かれて結局7位と敗北、前回のアテネ五輪に続いて北京五輪も女子マラソン代表を逃した。
2008年4月27日の兵庫リレーカーニバル女子10000mでは2位に入り、五輪参加標準記録Aを突破する31分19秒73の好タイムをマーク。
2008年6月27日の日本陸上選手権女子10000mでは、ゴール直前まで2位の赤羽有紀子と3位の福士加代子らとデッドヒートを展開、残り100mを過ぎて渋井が先頭に立ち、31分15秒07の大会新記録で日本選手権初優勝を果たした。これによって、渋井の北京五輪代表内定となる。
その後6月30日の日本陸連理事会において、長距離トラック種目(10000m)の代表として正式に選出となった。
⇒ Ranking2008年8月15日、北京オリンピックの女子10000m本番レースが行われたが、序盤からの超高速なペースについていけず、終盤周回遅れとなり17位に終わった(ゴールタイムは31分31秒13)。
⇒ Ranking2008年11月の第30回東京国際女子マラソンに出場(世界陸上ベルリン大会選考レース)。
レース前半から5Kmラップ16分台のハイペースで独走していたが、後半で17〜19分台にペースダウン。38.4Kmで優勝した尾崎好美に逆転され、その後も加納由理、マーラ・ヤマウチにかわされて4位に留まった。
2009年1月に開催された第28回大阪国際女子マラソンに出場(世界陸上ベルリン大会選考レース)。レース序盤から5Kmラップが17分台前半で進む先頭集団に加わっていたが、30Km付近で渋井自らロングスパートを仕掛ける。それについていったのは今回初マラソンの赤羽有紀子ひとりだったが、31Km過ぎでさらに渋井がスパートすると赤羽もついていけなくなり、渋井の独走状態となる。結果2位の赤羽とは1分58秒の大差をつける圧勝で、2004年9月のベルリン以来4年4か月ぶりのマラソン優勝を飾り、世界陸上ベルリン大会・女子マラソン代表に内定が決定した。
じつは、非常にお茶目でひょうきんな性格の持ち主なのだ。
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